ネットの記事は字下げをすべきか?「斜め読みの可読性」について

2021/08/20 ・ 雑記 ・ By 秋山俊

「Webコンテンツは読み捨てか」の話の続きに近いが、ネットの記事を書く場合には、「斜め読みの可読性」というものがかなり重要になると考えている。

ネットの記事は、多くの場合、誰が書いているのかが分からない。メディア側に取り立てて権威のようなものが備わっていないことが多い。なぜなら多くの記事には検索やサジェスト経由で、ランダムに近い形態で当てずっぽうにアクセスすることになるからだ。そのため、対象の文章の信用性というものが計りにくいので、斜め読み的な態度でまずザッといい加減に読んだり、とりあえずキーワードに向けてジャンプして読む、ということがかなり多くなる。また理解しにくい、読みにくい文章の場合、あっさりと離脱してしまうことも多いだろう。

これは活字媒体でいうと「立ち読み」の状態に近いが、有料で売られている書籍と違い、基本的にネットの記事には、この後で「購入する」というアクションが発生しない。そのためどういうことが起きるかというと、読み手がコンテンツに対して「投資した」という心理状態にならない。

ネットの記事は常に読み飛ばされる

活字媒体の場合、書籍を購入したり、あるいは近所の図書館まで借りに行った場合、そこである程度の「投資感覚」みたいなものが生まれ、同時に書き手に対しての信頼や緊張感というものも生まれる。この感覚は書籍独特のものだと思う。この緊張感があるから、たとえば長編小説などでも、多少退屈な場面があっても、読み手は頑張って読み進め、読み通そうという推進力を得ることになる。なるべく、一字一句読もうとする(速読家は違うだろうが)。

ところがネットの記事に対しては、この独特の緊張感が、最後まで生まれることはない。それはその文章に対して、金銭を投資することができないからである。またWeb上には、常に他のコンテンツへの誘惑があり、読者がどうしても注意散漫になりがちだからでもある。

そのため ネットの 記事はどこまで行っても、ぞんざいに読み飛ばされる可能性を背負っている。

だから逆算して、 ネットの書き手というのは、文章に対してできるだけ「斜め読みのしやすさ」というものを与えなければならない。少なくとも私はそう考えている。

この記事でいうと、それは改行による視認性の改善だったり、見出しの設置だったり、太字によるキーセンテンスの強調だったりする。あまり強調を使うと文章が安っぽくなるので、書き手としては使用を控えたいのだが、斜め読みをする際には強調部分だけ読んで読む価値がありそうか判断する、ということが頻繁にある。そのため最低限、そこだけ読めばなにを書いているか推測できるように強調をしている。逆にもし私が活字媒体に書いていたとしたら、かなり軽い読み物を除き、太字強調をしないだろう。

段落分けの焦点は「余白の確保」

段落の分け方については、ネットでは人によって流儀がいろいろである。統一されたフォーマットというものは存在しない。それはネットが若く、未だに急激な変動の中にいるためでもある。

私の場合、段落づくりでは、形式段落での分割をかなり細かくし、意味段落の分割は見出しに任せる、というフォーマットにしている。さらに字下げをしていない。これはネット媒体特有の、表示デバイスの多様性や、今まで述べてきた「斜め読みの可読性」を考慮した結果である。

私は、ネットの文章は、紙媒体の伝統に囚われるべきではないと考えている。これまでの書き方のルールは、あくまで紙という固定的なフォーマットだからこそ、合理的なものとして通用した。しかしそれはあくまで紙媒体における黄金律に過ぎず、文章一般における普遍的なものではないからである。

紙との大きな相違点が、「ページ端の余白確保が難しい」ことである。特に現在主流のスマホは画面が小さく、余白がほとんど作れない。紙媒体の文字の密集は、実はこの余白があるからこそ成り立っている。余白がない状態で愚直に真似すると、恐ろしく読みにくい文章となる。読み手の集中力を削がない最適な余白幅は、表示面積の20%という研究報告もある。そのため ネットでは多くの場合、段落分割によって段落間に余白を作ることで、視認性を向上させる。(図1)

図1:モバイルデバイスにおける、段落間の余白アリ(左)とナシ(右)の差。右側のような状況は、英語圏では「壁(wall)」と呼ばれ、見ただけで思わず読み飛ばしたくなる圧力がある。モバイルを意識した場合、横幅が狭いために左右の余白を確保しづらいので、段落間に余白を設けるしかない。

字下げで読みにくくなりやすい理由

段落分けが多いことと横書きであること、さらにHTMLの文章では、段落分け(<p>タグ)で自動的に余白が挿入されることから、活字では必須の「段落冒頭に空白を挿入する」作法、すなわち「字下げ」が必要ない。というより、むしろこの形式では字下げをすると読みにくくなる可能性が高い。

字下げの有効性は、その段落の文字の密集性に比例する。しかしネットでは閲覧者の環境によって改行のタイミング、すなわち文字の密集性が変化してしまうので、書き手側で制御することが難しい。PCのような広い画面で見た際に、頻繁に字下げが挿入されると、行頭がデコボコしたミミズのような段落構成になってしまう(図2)。結局、字下げしないのが無難、ということになる。

図2:字下げで行頭がボコボコしてしまう例。段落間の余白もないのでかなり読みづらい。

私は、字下げのルールを律儀に守るあまり、殺人的に読みにくくなってしまっているサイトをいくつも知っている。ネットにおいても字下げ自体は有効だが、あくまで全体の中でバランスが取れなくてはならない。

字下げ・余白・段落についての考えをまとめると、読みやすさを作るために、段落に対して「字下げ or 余白 or その両方」を設定する方法がある。字下げか余白はそのどちらでもいい。ただこれまで見てきたよう、デバイスの多様性を考慮すると「段落間に余白を作る」というのが、可読性向上のやり方として、最も汎用的だろうということである。

あくまで読みやすくすることが目的である

文章を書く際のルールは、あくまで媒体の制約や、可読性の向上のため生まれるもので、ネットという媒体においては専用のフォーマットを探求すべき、というのが私の考えである。

ルールというのは最終的な目標の達成に奉仕すべく存在している。ルール(形式)を守るために読みやすさ(実)を捨てたのでは、悪しき形式主義に過ぎない。電子という新たな海への航海に出た文章たちは、時代の変化の中で常に自らの表現方法を模索しなければならず、Webや電子デバイス自体が未だに進化の真っ只中なので、その変化が止むことは当分(ひょっとしたら一生)ないはずである。

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初版:2021/08/20 ―― 改訂: 2021/08/27

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