飢えなき欲望

2021/06/17 ・ 雑記 ・ By 秋山俊

欲望や野望というのは、“必死こいて”しまうとなかなか達成されず、その間ずっと欠乏感で苦しいのだが、「なくても別に困らない」くらいの気持ちで望んでいると、存外、楽に達成されてしまう。

たとえば恋愛はホンキの相手に限って失敗し、勝負や試験は本番でこそつまらないミスが出る。これは迷信や俗説ではなく、論理的な根拠がある。将棋などの盤上遊戯にたとえれば、“必死こいて”いる人間は、気持ちに焦りがあって我慢ができない。自分の野望が満たされていない状況がストレスなのだ。だから早く楽になりたくて、下手な攻めに出てしまう。したがって打たれる。

他方、勝負に執着していない人間、ほどほどに投げやりな人間は違う。いくら勝負が長引いてもいい。なんならオシャカになっても一向に構わん。それくらいの意気込みで、王者のごとく構えている。だから膠着しても一向に焦らず、逆にしびれを切らした相手が勝手に突撃して自滅してしまう。勝敗にこだわらず、勝負そのものを愉しんだり研究している人間が強いのも同じ理屈で、彼らの飢えは勝負そのものによって満たされているから、ストレスもなく手に全然無理がない。

三島由紀夫が「ほしいものが手に入らないという最大の理由は、それを手に入れたいと望んだからだ。」と言ったのは本当だ。であるならば、我々にとって最強の態度とは「飢えなき欲望」と言えるのではないか。「それなりに欲しくて手は打っておくが、手に入らずとも惜しくはない」――これこそ常勝の構えである。

問題は、この状態に入るためには、そもそもある程度の“余裕”が必要であること。ここにジレンマがある。

つまり既にずば抜けた大金持ちであれば、100万程度はケツを拭く紙くらいにしか見なしてないから、その投資は記憶の片隅にでも置いておける。結果としてその人は富を得る。しかし貧しき一般市民にとって、それは一世一代の大勝負と化してしまうから、戦々恐々とならざるを得ない。いわゆる「カネがカネを呼ぶ」というカラクリの1つはここにある。

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初版:2021/06/17 ―― 改訂: 2021/07/19

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