LINEは政治的過ぎるし、振り下ろされる拳で我々は皆ボロボロだ

2021/05/28 ・ 雑記 ・ By 秋山俊

LINEはあまりにも政治的過ぎたのだ。しかしこのような言い方は正確ではなく、正しくはLINEは人間関係の政治そのものを可視化するシステムなのである。あの暴力的アプリに少しでも触れたものは、その「既読」の振る舞う容赦ない残酷性によって身も心も破綻するだろう。

いいか。何度でも言っておく。心の政治を可視化するな。パンドラのフタを、Nintendo Switchを起動させるような気軽さで開けるんじゃない。それは恐ろしくグロテスクなものだからだ。

私は隣家の人間に関知しない。興味もないし、会話する気もない。しかしあえばごく常識的な隣人としてほほえみながら挨拶はするのだ。それは人間関係の政治をオブラートに包むためである。

ところが、LINE!あの恐るべき暴君は、オブラートに包まれているべき人間政治を暴虐的に開示し、我々は突如として、素直に既読をつけたのでは自分が全裸のコミュニケーション原人になっていることに気がつく。こうして我々は自らのグロテスク過ぎる本音を、既読をつけるタイミングによって必死に覆い隠さんとする、哀れなる奴隷へと転落するのである。

そう、奴隷。我々がLINEを使っているのではない。我々がLINEに使われているのだ。そんなこと明白だろう。電話番号を聴くわけにはいかないからな。この世の中で。ビジネスでもなければメールアドレスを訊くのは滑稽で、失笑されるのは必至である。

「ガラケーの人ですか?」

冗談ではない。スマホはオクタコア。8本脚の頭脳でチャットアプリなんざ一捻りだぜ?LINEなど使いたくない!しかし日本のこの暴力的過ぎるLINE専制君主制が、私にLINEへの信仰を強制し、他のアプリを提案すれば異教徒であるとして火炙りにすることをも厭わないから、その暴力的過ぎる圧政に屈して嫌々使っているんだ。私は異端の十字架を背負った哀れな宣教師です。

LINEを使っていて思い出すのはテレビ電話である。テレビ電話がなぜ普及しなかったのは簡単だ。誰も電話する際に相手の顔まで見たくないし、自分の顔まで見せたくないからだ。それは電話を連絡手段から社交手段にまで拡張してしまう。やめてくれ。こっちはつまらない話を聴くフリをしながら生返事を打って『ファスビンダー、ファスビンダーを語る』を読んでるんだ。

「既読は便利だと思ってるからつけている機能です」

冗談ではない。既読機能はドラッグに潜む依存性物質のようなものだ。売人のおためごかしを真に受けるな。人間はあれによって苦悩せねばならない。我々はなぜ生まれたのか?既読がない他国のチャットアプリはもっとずっと気楽だ。

もうやめだ。teacupの掲示板の方が100万倍もマシだったんだ。我が友よ。手紙を送るよ。そこは既読のつかない自由な大地。私と君が真なる関係を取り戻す約束の綴り紐。

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投稿: 2021/05/28 ― 更新: 2021/06/05
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