バカ舌のすすめ

2021/02/21 ・ 雑記 ・ By 秋山俊
カミーユ・ピサロ《コーヒーを飲む若い農婦》1881年

舌が鋭くなることは成長だと、割と最近まで信じようとしていたが、やっぱり、そんなのは錯覚だという気がしてきた。バカ舌のすすめ。美食家になんてならなくていい。安物で満足できるのが最も安定的で幸福なのではないか。

無論、私は、食に関してはハナからバカ舌である。助かった。しかしコーヒーだけは失敗した。凝ってしまったのである。わざわざ高い豆を買ってきて、抽出方法も色々と試した(どうでもいいが、粉より豆の方が高いのはなんか悔しい)。喫茶店のコーヒーと飲み比べ、自分にとってのベストを探った。

私は前進している。私は向上している。確かに、コーヒーについてはそこそこ舌が訓練されたと思う。しかしこれが厄介。久々に粉で買ったのを飲んだときにビックリした。「このコーヒーは死んでいる!」。鮮度が低すぎたのである。もはや飲めなかった。以前は気にせずグビグビ飲んでいたのに。

こうしてなんだかコーヒー通になり始めた気がしたのだが、以前より幸福になったか?というと、これが疑問なのである。何しろ質の低いコーヒーが不味くて全然おいしく感じない。したがって食費が上がってしまうし、誰かと安いチェーン店に行ったときにコーヒーが飲めない。

そして人はすぐに現在の幸福に慣れてしまう。無論、コーヒーは美味い。しかし毎回特別な美味さを感じるわけでは、もはやない。そしてそこから水準を下げることはできないのである。

むやみに水準を上げるのが正しくないことは、自然界を見ればすぐ分かる。動物はなぜ身体を無駄に大きくせず、筋肉も必要最低限にしか発達させないのか?維持コストが高いからである。無駄に大きな肉体はそれだけ消耗が激しく、生存率を下げてしまう。自然から学んだ知恵。矮小な生命体ほど完成度が高く、何億年も前から形態が変化していない。最適解――出ている、既に。こうべを垂れて小さき者たちに学べ。

最近、近所のサイゼリヤへ行った。コーヒーミルのフタにはわずかに埃が積もりつつある。

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投稿: 2021/02/21 ― 更新: 2021/02/22
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