読書幻想、あるいは読書家が思考力を持つとは限らない

2020/12/21 ・ 雑記 ・ By 秋山俊

結局のところ人間の思考力や考えの深さというのは、最終的にどれだけ自分で、真正面からこの世界の困難や絶望に対峙し、考えを深めていくかで決まるわけで、読書はそのヒントになっても、決して思考それ自体を直接援助しない。

だから野球のイチローのような、「他人の思考が入ってしまうので、読書は全くしない」と公言している、思慮深い野生の哲人もいれば、「1年間に本を千冊読みます」と豪語して巨人を気取る、書斎のバカもいるのである。

また人間の根本的な部分、本性というものは、文字を読んで「ははぁ、なるほど」と感心したくらいで、おいそれと変わるようなものではない。もっと言えば、全く変わらない。読書は人間の品性を高めないし、器も広げない。「イヤなヤツ」が本を千冊読めば、「本を千冊読んだイヤなヤツ」が出来上がるだけであり、それは本を読む前よりタチが悪い。

私は別に、読書をこき下ろしているわけではない。私は読書を愛する。言葉の力を信じる。もし読書を否定するのなら、黙ってこのサイトを閉じるのみだ。

そうではなくて、私はただ、あたかも己の墓碑に刻むかのように読書リストを延々と増大させ続け、「教養、教養」と念仏のように唱えながらも、青年たちの人生に対する素朴な疑問に、通り一遍のことしか言えないような、浅薄な、感性愚鈍の人間にはなりたくないだけなのである。

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初版:2020/12/21 ―― 改訂: 2021/11/10

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