この世に在るのはアーカイヴだけだ

2020/12/20 ・ 雑記 ・ By 秋山俊
ジャン=リュック・ゴダール『イメージの本』2018年

私たちに未来を語るのは“アーカイヴ”である。

ジャン=リュック・ゴダール

この世に在るのはアーカイヴだけだ。

全てが過去であり、保存されたものであり、アーカイヴなんだ。

目の前の人物が笑い、喉を震わせて声を出すときでも、我々は「今まさにその瞬間」には、決して到達できない。全ては遅れてくる視覚的イメージであり、振動であり、それを解釈した脳が適切な編集を加えた上で意識に顕れるクオリア(感覚)である。自分自身の知覚や思考ですら、認識するには一瞬の遅れがある(リベット「意識は遅れてやってくる」)。

その点で、目の前にいる人物だろうと、地球の裏側との通信だろうと、億光年彼方の恒星の輝きだろうと、全ては残像でありアーカイヴである点では変わらない。ただ我々がその遅れを認識できるかどうかだけだ。つまりこの世の全てのものは離れ離れであり、我々はみな、彦星であり織姫である。

このことは、現実幻想に生きる人間にとって、いささか悲観的な事実だが、しかし同時にこの上なく都合の良い福音であるとも言える。

なぜなら「全てが残像でありアーカイヴである」ということは、人間にとって、「残像やアーカイヴこそが現実」であり、それはすなわち「全ての後から再生される残像やアーカイヴも“現実”であり“本物”」であると見なせるからだ。データ化された言葉、映像、音楽。それらが質的に「現在の現実」から劣化していることはあっても、目の前に広がっている以上、それは紛れもない「本物」なのだ。現実は仮想であり、ならば仮想こそが現実だ。

だから我々は、アーカイヴとして受け取る数々の遺産を「これはまがい物に過ぎない」と、必要以上に低く評価する必要はない。石版に刻まれた言葉は、まさに今、生きている。あなたに解釈されることで、それは生きる。写真は見られることで、まさに現在を生きる。発せされた視覚イメージがちょっとばかり遅れて到達したからといって、なんの問題がある?君はあの宇宙に浮かぶ星々が偽物だと言うのか。死者は思い出されることで蘇る。それら全ては永遠のテクストとして現世に紡がれる。

その点で、肉声であれ、本であれ、ネットに書かれた言葉であれ、全てはアーカイヴという観点からは等価であり、それらは広い意味での引用物であり、作品であり、人類の財産である。

現実とはなんだ?

モーフィアス『マトリックス』

テキスト系記事の一覧

LINEで送る
Pocket

投稿: 2020/12/20 ― 更新: 2020/12/21
同じテーマの記事を探す
関連記事
コンテンツ
文客堂について