
死を想え [memento mori]
古代の訓戒
哲学者たち
正しく哲学している人々は死ぬことの練習をしているのだ。
ソクラテスの死についての対話
『パイドン』
死はわたしたちに無関係である。なぜなら、わたしたちの存在するかぎり、死は現に存在せず、死が現に存在するときは、もはやわたしたちは存在しないのだから。
エピクロス
文学者たち
死を解する人はほんの僅かである。人はふつう覚悟をきめてではなく、愚鈍と慣れで死に耐える。そして大部分の人間は死なざるを得ないから死ぬのである。
ラ・ロシュフコー『ラ・ロシュフコー箴言集』
人間はすべて死ぬ、だから人間は誰も幸せではない。
アルベール・カミュ『カリギュラ』渡辺守章訳, 新潮文庫
充実した生活を送っている人間の心のなかには、死の観念などが、はいりこむすきはありません。危険に直面して生きている人間の心のなかには、恐怖の観念などが、はいりこむすきはありません。わたしたちの恐怖は、かならず空想のなかに生ずるものです。
澁澤龍彦『快楽主義の哲学』
勝負師
死ぬということは一体、どういうことなんでしょうかね。僕だけがこの世から消えるということで、この世は僕が消えてもずっと生き続けるんですね。
小池重明『勝負師・小池重明』
自作
俺はある日の夜に寝床で、死んだらどうなるかと想像して以来、そのことを毎晩、毎晩考え続けていたのだ。そしてその度に発狂しそうになった!死について忘却している日中はいい。しかし真夜中に思索が深まって、死についてリアルに想像した瞬間、まるで自分の中にいる、されこうべの死神と目が合ってしまったかのような恐怖に襲われる!死!その想像の一瞬、確かに俺は意識を保ったまま死んでいるのだ!そして年甲斐もなくぎゃぁっと叫んで飛び上がり、死の恐怖に駆られて狂人のように廊下を何度も何度も往復し、とんでもないことを思い出してしまった、俺はいつか死ぬんだったと、間抜けそのものの独り言を繰り返すのさ!
大学時代に書いた小説『天上無情』
編集者
最後の魔法のおかげで世界はとても綺麗です。私は生きている間。時々、一瞬だけとおくをかいま見ることができました。結局そこに行くことはできませんでしたが、でも、ここも、とても綺麗です。明日がこないからです。これが最後の夜だからです。
二階堂奥歯『八本脚の蝶』
[…]二階堂奥歯は、2003年4月26日、まだ朝が来る前に、自分の意志に基づき飛び降り自殺しました。このお知らせも私二階堂奥歯が書いています。これまでご覧くださってありがとうございました。
名もなき人々
おれの人生ここまでか。おれの人生ここまでか。
強盗に首を刺されて死んだ中年タクシー運転手の最期のうめき
今、自分の人生の終わりを感じる。
死の間際の父からのメール
三島由紀夫
私の死との一番近しかった時代は戦争中で、戦争が済んだ時に二十歳だったので、十代の私どもは、いつ死ぬか、どうやって死ぬかっていうことだけしか頭の中にない。そういう中で二十代まで行ったのでありますが。それを考えますと、今の青年には、そりゃスリルを求めることもありましょう。あるいはいつ死ぬかと言う恐怖も、ないではないでしょうが、死が生の全体になってるっていう緊張した状態にはない。
そういうことで仕事をやっています時に、なんか、「生の倦怠」と言いますか。ただ人間が、自分のために生きようということだけには、卑しいものを感じてくるのは当然だと思うのであります。それで人間の生命というのは不思議なもんで、自分のためだけに生きて、自分のためだけに死ぬというほど、人間は強くない。というのは、人間は何か理想なり、何かのためということも考えてるんで、生きるのも、自分のためだけに生きることにはすぐ飽きてしまう。すると死ぬのも、なんかのためということが必ず出てくる。それが昔言われた“大義”というものです。そして大義のために死ぬっていうことが、人間の最も華々しい、あるいは英雄的な、あるいは立派な死に方だというふうに考えられていた。
しかし今は大義がない。これは民主主義の政治形態というのは、大義なんて要らない政治形態ですから、当然なんですが、それでも心の中に自分を超える価値が認められなければ、生きてることすら無意味になるというような心理状態がないわけではない。殊に私、自分にかえって考えてみますと、死を、いつか来るんだと、それも遠くない将来に来るんだっていうふうに考えていた時の心理状態は、今に比べると幸福だったんです。それは実に不思議なことですが、記憶の中で美しく見えるだけでなく、人間はそういう時に妙に幸福になる。そして今我々が求めてる幸福というものは、生きる幸福であり、そして生きるということは、あるいは家庭の幸福であり、あるいはレジャーの幸福であり、楽しみでありましょうが、しかしあんな、自分が死ぬと決まってる人間の幸福というものは、今ちょっとないんじゃないか。
そういうことを考えて――「死というものは、じゃあおまえは恐れないのか?」――そりゃあ私は病気になれば死を恐れます。それから癌になるのも一番嫌で、考えるだに恐ろしい。それだけに何か、もっと名誉のある、もっと何かのためになる死に方をしたいと思いながらも、結局『葉隠』の著者のように生まれてきた時代悪くて、一生そういうこと想い暮らしながら、畳の上で死ぬことになるだろうと思います。
三島由紀夫、自決する4年前のインタビュー
NHK「あの人に会いたい」より