チキンラーメン:歴史を始めた途端に終わらせた千金のヒヨコ野郎

2020/12/17 ・ 雑記 ・ By 秋山俊

君はいま、お腹が空いているのではないか?なに、遠慮するな。どうせ大したものが出てくるわけではないのだから。実はチキンラーメンだ。そら、食欲がムラムラと湧いてきただろう。ひと目見たときから、君が僕と同類であることは見抜いていたのだ。

インスタントラーメンは日本人の主食だ、おふくろだ、ソウルフードだ。ジャンクという名のパンク芸術だ。ほら持ってきたぞ。ちょっとそこを空けてほしい。まあ待ちたまえ。今しがたお湯をいれたところだ。この黄金時間に、僕の講釈を聴きたまえ。

将棋の升田が初めて酒を飲んだのが3歳のとき。僕がチキンラーメンを食べたのが7歳のとき。悪い親だね。チキンラーメンは最初から完成していたのだ。入っているのは麺だけで、お湯をかければ麺がそのままダシとなり、スープまで完成する。一にして全。円環を成す事物の美しさよ。始まったときから終わっていたんだ。これ以降のインスタントラーメンは、全て蛇足と言っても過言ではない。新商品を作らねばならぬ売らねばならぬ。資本主義は強欲なのさ。そしてどんぶり文化のない欧米へ攻め込むためにカップ麺が考案された。西洋人はラーメンに何を投じればいいのか見当もつかぬ。したがって添付の具材は必須となった。

カップヌードルにエビが入っている事実は、カップヌードルの宿命となる。最初から決められているんだよ。ところがチキンラーメンはカンヴァスなんだ。描いていいんだよ。君だけのラーメンを。パックを開封するたびに、今日はどんな画をこのカンヴァスに描くか、僕はワクワクしてしまうのさ。チキンラーメンはイマジネーションだ。僕の中にはここにたった1つの創作ルールがあって、それは麺が食べ頃になるまでに出来上がる具材を使うこと。あまり大げさな調理をするなら、別に他の一般的な麺を用いればいいのだ。触感と香りを増す、ネギとモヤシがお手軽だな。インスタントラーメンのイデオロギーは「時は金なり」だからね。なに?彼らのモットーは「息もメンドウ」だって?ほっほっほっ!

おお!我が饒舌が空白を埋める間に、ミイラのごとく硬直していた麺は息を吹き返し、ほころびた麺は我らの舌へ!食べるがよい食べるがよい。

ソ連がスプートニクを打ち上げたのが1957年。翌年に安藤百福が瞬間油熱乾燥法によりチキンラーメンを生み出し、同年にウェスティングハウスが集積回路を発明し、一方その頃、アメリカの妊婦の股からはマイケル・ジャクソンが飛び出していた。発明の時代!そのうちラーメンの内部で核融合が実現するかもしれぬ。

僕がいつも振りかけるのは、コショウと一味唐辛子。メンマをのせたいのはヤマヤマだが、スーパーで売られているメンマはどこの馬の骨かも分からないので使わない。君もコショウかけるかい?いらない?そうかい!

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初版:2020/12/17 ―― 改訂: 2021/08/25

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