結局、物事は速度だという話

2020/12/03 ・ 雑記 ・ By 秋山俊

「時間をかければ、できるんだ」という類の言い訳を、私は信じない。なぜなら速度が足りないということは、それは結局、「できない」ことと同義であるからだ。少なくとも限られた期間のうちに「できない」ことは確実である。

なぜ仕事の質は速度で決まるのか?それは人生の時間が有限だからだ。宇宙に止めようもない時間が流れているからだ。

仕事(行為)の本質は速度である。物事を成し遂げる速力である。速度が速いということは強いということであり、速力はパワーに変換される。速度によって量は質に転じる。だからRPGなんかに見られる「速度はあるがパワーはない」という設定は、この関係を根底から誤解している。速度ほど力持ちなヤツはいない。

パワーというのは、速度をじっと見つめた際のカタマリに過ぎない。銃弾が人を殺せるのは速度のおかげである。ただの軽トラックでも、鬼のように速度に乗っていればティラノサウルスをも轢き殺せる。歴史があのように巨大な壁として立ちはだかるのは、時間のなかに蓄積された速度が一瞬一瞬のうちに流れているからである。

「時間さえかければ……」という言い訳は、欺瞞である。現代のコンテンツを見ていれば、それがすぐ分かる。とりわけそれは、生産・維持に金のかからないネットコンテンツで顕著と言える。

私はこれまでネット上で、数え切れないくらい大量のコンテンツを作ってきて、最近ではこのサイトとYouTubeチャンネルを運営しているが、コンテンツ製作の課題は常に、どこまで行っても、時間とクオリティのバランスの問題である。時間をかければ、クオリティは上げられる(どこまでも上がるわけではないが)。しかし問題は、1つのことに時間をかけられないことなのだ。

私が、最終的には即興が究極のコンテンツになる、と考える理由の1つはそこある。つまり即興は速力が最大なのである。

これは時間も1つのリソースであり、予算と見なせば、結局のところネットのテキストだろうと映画だろうとマンガだろうと、全ては予算との戦いであり、その制約の中でどれだけクオリティを上げられるかの勝負である、という結論に行き着く。クリエイターにとって最も重要な資質は、これに関して適切な妥協点を見出す能力と言っていい。なんとなれば我々の最大の宿敵は、目前の現実という、こののっぴきならない怪物であり、それを無視しては、全ては絵空事に帰すからだ。

人々は商業誌の稚拙なマンガを見て「なんて下手くそな画だ!」とけなし、奥行きの狂ったアニメを見て「作画崩壊だ!」と騒ぎ立てる。しかしそれら全ての根本原因は、彼らに本当に望まれるレベルを実現する腕前が欠落しているというよりは、大抵の場合、単に時間が足りないことなのである。

もちろん最初に述べた通り、ここで「時間が足りないから、できなかったのだ」という言い分は、しょせん論のすり替えに過ぎないので、結局のところ「時間の足りてない」人々とは「それができない」人々なのである。

撮影の98%は妥協だ

映画監督 デヴィッド・フィンチャー

速度という概念を教えてくれた作品と人

私が速度というものを意識したのは、意外にも(?)アニメとゲームがキッカケだった。『スクライド』というアニメの中で、クーガーというキャラが次のように話している。

この世の理はすなわち速さだと思いませんか。物事を速くなしとげればそのぶん時間が有効に使えます。遅いことなら誰でも出来る。20年かければバカでも傑作小説が書ける。有能なのは月刊漫画家より週刊漫画家、週刊よりも日刊です。つまり速さこそ有能なのが、文化の基本法則!そして俺の持論でさァ!

『スクライド』
『スクライド』のストレイト・クーガー

最初に聞いたときは極論めいて聞こえたのだが、考えれば考えるほどに、これは真理である。恐らくアニメ製作という、スケジュールのタイトな過酷な現場だからこそ出てきた言葉なのだろう。2001年の作品だが、このセリフが自分の中で事あるごとに思い出されて、速度について考えるようになったと思う。

この速度と能力の関係を、さらに細かく言語化して見せたのが、思想家でありながらプロゲーマーもこなすという梅原大吾である。

結局格闘ゲームに限らず、テトリスでも、もっと言えば麻雀とかでもそうなんだけど、究極言っちゃえば人と人って、速さで差を付けるしかないじゃんって思ってる。

例えば将棋だって、何秒以内に指さなきゃいけないってルールになったら、もっと実力差出ると思うよ。若いやつにもチャンスが出てくるし。理論値を出すってことは、結局機械がやってくれちゃうじゃない。理論値を出したいからゆっくり考えるわけでしょ。それいらないじゃんもう。理論値はどうせ機械の方が凄いんだから、ミスして良いじゃん。

ミスが多ければ多い程良いゲームだと思ってるんだよね。2秒以内の選択肢だったから凄い、みたいな。麻雀もすぐに切らないといけないじゃん。格闘ゲームもスピードを下げれば下げるほど実力差は出ないと思うよ。考える時間も増えるしミスも減るから。

梅原大吾
(元々2016年のTwitchの配信の中での発言だが、元の動画にアクセスできなかったので、ブログ「さめたパストとぬるいコーラ」さんの「人間が対戦ゲームをやる意味についてのウメハラの見解が面白かった」の文字起こしから孫引きさせていただいた)

「2秒以内の選択肢だったから凄い」には赤線を引いておきたい。

私が今まで述べてきたことは、大体以下の発言に要約されている。

人生がさ、ちょっと待って下さいって言って100年待てるんだったら凄え考え出せると思うよ。だけど時間内に結論出さなきゃいけないから難しいわけでしょ。そういうことですよ。

梅原大吾

これらは彼が普段から繰り返し述べている持論で、たとえばかつてライバル関係にあったヌキという強豪プレイヤーが、ここ10年くらい目立って勝てなかったのは、格ゲーのゲームスピードが全体的に低下し、無類の速力で差をつけていたヌキが、速度で差をつけにくくなってきているからだというのだ。

この思想は、幻のマンガ『ウメハラの麻雀』の中にも出てきている(下図)。

『ウメハラの麻雀』近代麻雀
『ウメハラの麻雀』近代麻雀

ことほどさように、万事のボトルネックとなっているのは速度である。それを裏返しにみたとき、他人を超える速度を持つ者は、他者よりも同じ時間を長く生きているということでもあるだろう。

テキスト系記事の一覧

初版:2020/12/03 ―― 改訂: 2021/11/10

同じテーマの記事を探す