即興は理屈を超越する

2020/08/26 ・ 雑記 ・ By 秋山俊
マルク・シャガール, 街の上で

「即興が究極のコンテンツ」の続き。

なぜ即興が上手くいくと物凄いモノになりやすいかというと、1つには、理屈を超えたものを生み出せるからである。即興で生まれたコンテンツには「こんなのどっから出てきたんだよ?」というものがある。

逆に練り込まれたものというのは、頭で考えて作るから、受け手にとってもそのロジックがなんとなく読めるし、どこかで見たものになりやすい。結果、狙いが見透かされる。

その点、即興というのは理屈を超えて、頭から反射的に出るリズムによって構成されるから、そういった思考の凡庸さを回避することができる。恐らく頭の中では即興内容がどう良いのか、直感による理解ができているのだが、これを通常の頭で理解しようとした場合は「意味がわからないから却下」と脳が拒絶してしまう。

最近観た映画でいうと『ロッキー』(’76)で主人公と恋人が、なぜか誰もいないスケート場で滑るシーンは予算がないから生まれたものだし(下図)、「描かれたボクサーパンツの柄が間違っている」という演出も、予算不足と手違いから生まれたもの。

『ロッキー』(’76), MGM

こういったトラブルを撮影直前に突きつけられて「どうしよう」っと頭をヒネって、即興で作ったから理屈を超えたものができた。実際、これらのシーンは頭で考えたら生まれてこないと思うし、元の設定よりずっと良い。

他にも『戦争のはらわた』(’77)の印象的なラストシーンは、予算が尽きたのでペキンパーが無理やり作ったものだと聞く。映画史を変えたゴダールのジャンプカットも、追い詰められた監督の繰り出した珍技であった。(→ゴダールの解説

映画の名シーンは大抵、トラブルが生んでいるのではないだろうか。「適当にでっち上げて誤魔化した」のではなく「トラブルが理屈を超えた即興を生んだ」のである。

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投稿: 2020/08/26 ― 更新: 2020/08/28
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