制作時間とクオリティの関係

2020/08/26 ・ 雑記 ・ By 秋山俊
マルク・シャガール, 7本指の自画像, 1912-1913

なんらかのコンテンツ制作に時間をかけるほどクオリティが上がるかというと、別に上がらない。

どうしても工数が必要なコンテンツは、必要最低限の時間はかけねばならないし、それすら省略して手抜きをすると、さすがにクオリティが落ちやすい。しかし必要最低限をクリアした上で、さらに手間をかけたからといって、作品のクオリティが向上する保証はどこにもない。

むしろ最初の勢いのままにサッと仕上げて、上手くいったと思ったら、下手に手間をかけずにおいた方が、クオリティが高いくらいである。歴史的な作品の中にも一気呵成に作り上げたものが結構あるのはこのためだと思う。

たとえば夏目漱石の『坊っちゃん』『草枕』は1週間足らずで完成され、あるいは太宰治の『駈込み訴え』は口述筆記で一気呵成に書かれ、傑作と評価された。映画監督としてのクリント・イーストウッドは、早撮りが有名。最初の撮影で大体OKを出すらしい。何度もやらせても、良いものが撮れるとは限らないからだそうだ。

文章なら、話すように書く。パフォーマンスの収録なら、1テイクで撮る。これが理想なのは間違いない。勢いが宿る。リズムが生まれる。一回性の中にのみ生じる真実味というのがある。ただし究極の理想と呼ぶべきもので、実際にはいくらか妥協し編集した方が塩梅がよくなる。

自分の経験を振り返ってみても、サッと作れたものは大抵、他のものより良い出来だった。逆に製作者がこだわるディテールの不満などは、存外どうでもいいことが多数。割とただの自己満足ではないかと思う。

手間をかけずに仕上げて良いものができれば、製作にかかる様々なコストが少なくて済み「良いことずくめ」となる。

一気に作り上げて上手くいったものは、スッと筋が通ったようなものになりやすい。逆に下手に手間暇を費やすと、尾ひれがついた理屈っぽいものになりがちで、コンセプトが不明瞭と化すきらいがある。

なおそもそも技巧が未熟なうちはいきなりバランスの良いものを仕上げることができないので、練習も兼ねて色々と練った方が良いと思う。

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投稿: 2020/08/26 ― 更新: 2020/09/23
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