伝統を疑う

2020/08/22 ・ 雑記 ・ By 秋山俊
アンリ・ルソー、フットボールをする人々、1908年

私は、伝統というものには眉に唾つけて接するべきだと思う。風習とか芸能とか理論とか、伝統的なものはみな、疑ってかかるべきである。

「これでずっと上手くいってきた」

「永く続いていることが、その伝統の素晴らしさの証明」

こういった紋切り型をしょっちゅう聞くし、TVでの伝統の紹介は「伝統だから素晴らしい」の一点張りだ。

本当にそうだろうか?

永く続いていたからこそ、既得権益の奪い合いで腐敗している可能性もあるし、50年前までは素晴らしくても、急速に変化する現代社会に適応できず、機能不全に陥っているかもしれない。あるいは新しく登場したものより、単純に古くて劣っているかもしれない。

世の中に「永く続いているダメな伝統」なんて山ほどある。典型的なところでは、差別。女性蔑視や年功序列を促進する風習は世界中に見られる。

もっと身近なところでは、なにかのセオリーというのは悪習化しやすい伝統の一種。最初は誰でも上手くこなすための定石として生まれたセオリーも、いつの間にかセオリーを守ることが目的化し、新しく出てきたものに対して「セオリーから外れているから良くない」という見方が生まれてしまう。

伝統とは常識のことだと思う。

続き「ダメなものを贔屓目に見る」

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投稿: 2020/08/22
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