不自由でありたいTwitterと予約投稿

2020/08/21 ・ 雑記 ・ By 秋山俊

少し前、Twitterに予約投稿機能が追加されたが、これは言わば「公認宣言」なのだと思う。

Tweet Deckなどを使って、やろうと思えば以前からできた。しかしTwitter本家が「正式に」これを実装することには、かなり大きなインパクトがある。公式が実装するということは、新しい「Twitterの在り方」が宣言されたということでもある。「予約投稿はTwitterの理念に適う」と。古代ローマがキリスト教を公認することにより「キリスト教と共にあるローマ」を打ち出したように。

しかしこれにより、Twitterがますます「タイムラインが流れるブログ」となってきたのは事実である。Twitterの特徴が弱まっている。

Twitterの最大の特徴、それは他人と繋がってタイムラインが流れることではなく、「あえて不自由にしたこと」だと私は考えている。これが画期的だった。

人は自由だと何をすればいいか分からなくなる。大抵の人のブログが続かない理由、それは「あまりにも自由過ぎて、何をすればいいかわからない」からである。人生でも同じで、多くの人が不平不満を垂らしながらも社会や組織に繋がれるのは、繋がれることによって生き方や指針が明確になるから、というのも大きい。

Twitterの核心は140文字という不自由さにあり、予約などの融通が利かないことにあった。文字数が少ないからダラダラ長文化することがないし、所詮「つぶやき」なので気負わなくていい。やれることが限られているからこそ、何をやればいいかが定まり、人はかえって自由になれる。だから三十一文字が戦国に詩人を生み、百四十文字がネットにクソリプをもたらした。

巧みな予約投稿などが出来ないことによって、タイムラインはそこに流れる言葉のリアルタイム性を担保した。Twitterは不自由さによって、時間を封じ込めることに成功したのである。

そもそも機能的には、本来、Twitterにできてブログにできないことなど無いに等しい。ブログは便利な機能なら何でも実装する。ネットのテキストをどこまでも自由にするのがブログで、不自由にするのがTwitterである。Twitterは自らを拘束することで存在理由を作り出してきた。Twitterとはルールでありゲームだと思う。

しかしTwitterそのものが人類規模のコミュニケーションツールとして浸透しつつある今、もはや機能的な差別化に拘らなくても、Twitterは存続できるようになったのかもしれない。

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投稿: 2020/08/21 ― 更新: 2020/08/22
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