「アーカイブの時代」の到来、あるいは退屈よさようなら

2020/08/18 ・ 雑記 ・ By 秋山俊

「人生とは、無限に積み上がった『あとで読む/観る/やる』リストを消化していくことである」という認識が、近代以後に生まれたことだというのは、意外と自覚されていないことだと思う。私は近代以降を「アーカイブの時代」と呼んでいる。

「アーカイブ以前」の時代

19世紀まで、印刷技術などが発達してきていたとは言え、まだまだ民間に流通する書物などの量は限られており、人類が蓄積してきた文献や物語、すなわちアーカイブに好きなだけアクセスできるのは、一部の限られた人間に過ぎなかった。

したがってこの時代の人間は、まだまだ「退屈」であった。この時代の小説がやたら長大なのも、それだけ人類が「退屈」だったからである。

20世紀初頭の大長編小説『失われた時を求めて』

「劣化したアーカイブ」の時代

ところが20世紀に入ると、大量印刷が当然のように行われるようになり、また世界中の傑作と呼ばれる書物や映画などの文化資源が蓄積・共有されることによって、アーカイブの量が指数関数的に増え、一般人にも「あとで読む/観る/やる」という概念が広く普及するようになった。

つまり余暇に消費しきれない量のアーカイブにアクセスすることが、多くの人にとって可能となってきたのである。

これに伴い、娯楽同士の競合(消費者の余暇の奪い合い)が激しくなり、数巻に及ぶ大長編小説などは競争力を失って(他にやることが山ほどある)「長編小説は死んだ」などと叫ばれるようになった。70年代以降には、新たな巨大アーカイブ群となるビデオゲームが急速に蓄積されていく。

しかし映画や音楽などが特にそうだが、初期の頃のアーカイブは「劣化したアーカイブ」であった。

巻き戻す過程などでテープが劣化していったVHS。容量も小さい

たとえばビデオテープは典型的な「劣化したアーカイブ」の媒体であり、その情報量はフィルムに収められた本物の映画などに及ぶべくもないし、繰り返すほどに劣化する。またビデオゲームに関しても、どうしてもアーケードの実機などに比べて家庭用移植はパワー負けし、エミュレーション精度も低かった。

したがって「アーカイブは所詮模造品」と言い捨て、あくまで現在回されている「ホンモノ」に価値を置くこと、つまりアーカイブではなく現在に生きることの価値がもっと高かった。

「完全なアーカイブ」の時代

しかしこの事情は20世紀後半にディスクメディアが普及することにより、大きく変わっていく。

CDやSACD、DVDなどは、従来のメディアより遥かに記憶容量が大きく、しかも繰り返し再生しても劣化しないという点で革命的であった。音楽に関してはCDの時点で、レコードからの劣化判別がほぼ不可能なほどの精密なアーカイブ化が可能になった。

映像メディアではBlu-rayの登場が画期的であり、この時点で「35mmフィルムを、素人目にはほぼ映像劣化なし、かつロスレス・サウンドで収録できる」という地点まで一気にジャンプした。

映像の精細さは十分、かつロスレス・サウンドを収録可能というマイルストーンを達成したBlu-ray

ビデオゲームに関しても、2000年代に入ると家庭用ゲーム機の性能が高まり、アーケードゲームを無理なく移植可能になった。市場が成熟したこともあって「完全移植は当たり前」という認識が広まり、素人が違いを発見することが不可能なほどの移植作品が増えた。そもそも基盤の段階で家庭用機と互換性があり、容易に移植できるものも多くなった。

こうして「完全なアーカイブ」の時代が到来することにより、多くの人間が、過去に蓄積してきた膨大な量のアーカイブをほぼ劣化なしで楽しめ、さらに100回でも1000回でも好きなだけリピートできる、という「夢のような時代」が到来したのである。ネットやPCの普及は、アーカイブからさらに「物理メディア」という足かせまで外しつつある。

同時に天文学的な量のアーカイブが蓄積された人類からは「退屈」という言葉が無限に遠のき、人生は、その時間をいかに価値の高いアーカイブの消費に集中的に分配するかを考えるものとなっていった。

デジタルデータによりアーカイブは半無限に蓄積することが可能なので、なにか致命的な大災害が起こらない限り、人類のアーカイブはこれからも半永久に膨張していくだろう。

しかしいくらアーカイブが膨張しても、人類にとって、その「量」というのは問題ではなくなってきている。何故なら現時点でも、アーカイブは既に余裕で消費しきれない規模に膨れ上がっているからである。

「強化されたアーカイブ」の時代

ではこれからのアーカイブはどのような道を辿るのかというと、それは「強化されたアーカイブ」というものに置き換えられていくのである。

これは既にUHD BDなどで進行しているが、4K化やHDRなどでデジタルとアナログの力量差を埋めつつ、劣化をデジタル処理で補修し、さらにDolby Atmosなどで従来のサウンドをアップミックスすることにより、完全な状態のフィルムと同等以上の記録メディアを生み出すことが、理論上可能となっている。

諸説あるが、4K解像度は35mmフィルムの精細さをほぼ完全に再現できる

この傾向はAI技術の発展により今後も加速していくだろう。既に過去の白黒映像をカラー化したものなどが放送されるようになっているが、これなどは典型的な「強化されたアーカイブ」の産物である。古いビデオゲームも最新環境で補正処理したり機能追加することにより、当時の実機を超えることが可能となる。

つまりアーカイブとは、「過去の遺産をできるだけ少ない損失で楽しむ」というやや後ろ向きなものから「製作当時のクオリティを超えるレベルで楽しむ」という姿勢に変わりつつある。今後は「どれだけ当時に追いつけるか」ではなく「どれだけ追い越せるか」に焦点が移っていくであろう。

PCや家庭用アンプ、プロジェクターなどの目覚ましい進歩もこの流れを加速させており、既に十分な投資さえすれば「過去の下手な業務用レベルを超える」ことは現実的となっている。

現代はアーカイブの時代である。しかしそれは同時に、巨大過ぎるアーカイブの存在が、人々の眼を目前の生から逸らし続けている時代でもある。

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投稿: 2020/08/18 ― 更新: 2020/08/19
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