ベランダ族、大いに語る

ワタクシ、非常に驚いております。日本におけるベランダ利用率の低さに。

ベランダというものはモッパラ、洗濯をする場所であると信じ込まれており、この素晴らしきエルドラドが、ロクに手入れも活用もされず放置されているようです。毎日散歩をしていれば分かります。ベランダを十全に活用している「ベランダ族」が、日本にはほとんど生息していないことに……

――「ベランダにそれ以外の活用方法があると?」

Yes…いえ、むしろワタクシはこう申し上げます。「洗濯や家庭菜園など、ベランダの機能のほんの一部に過ぎない」っと……

いいですか。そもそもベランダというのは立派な住居の一部であるのに、そこをリビングやマイルームとは区別して限定的にしか活用しないのはオカシイのです。ベランダは1つの「部屋」であり「庭」なのです。

従って、自宅の中で行っているようなことは全て、ベランダで実行することも「理論上は」可能なのです。ベランダを使いこなす者にとって、ベランダ付き2DKは3DK同然です。不動産の錬金術です。

もちろん「理論上」という言葉の通り、そこに様々な制約は存在します。しかし同時に、ベランダにしかない優れた空間性や開放性が存在するのもまた事実なのです。ベランダ族とは、このような特殊性を理解した上で、それを十段活用できる人間のことです。

――「ベランダ十段活用について、詳しく教えて下さい」

初歩的なところからいきましょう。たとえばちょっとコーヒーを飲むときに、ベランダに折りたたみの椅子を設置してコーヒータイムを楽しむのは、非常に優雅ですよね。なぜならベランダというのは、外気の気持ち良さと遠景、そして場所の独占という排他的快適性を同時に満たせる、プライバシーのエアポケットだからです。もちろん夜のヒンヤリした空気に浸りながらお酒を飲むのでもいいでしょう。

私が注目するのは、まさにこのベランダが持つ特殊な環境なのです。

この性質を突き詰めると、ベランダ最大の長所は「外界と内界が混ざりあった空間を、いつでも自由に往復できる」点にあるのだと気づきます。

――「なるほど。“いつでも”と“自由に”というのは、確かに特殊な点ですね」

That’s right. その通りです。

たとえば、家の中にずっといると、ちょっと外の空気を吸いたくなります。部屋着に着替えた後に外に出るのって面倒じゃないですか。女性であればなおさらです。ところがベランダなら、人はいつでも自由に往復できるのです。さらにベランダに広がる僅かなスペース……これを活用しない手はないのです。

私は読書が好きです。でもずっと書斎に籠もっているとちょっとダレてきます。そこで活用するのがベランダです。外を通り過ぎる電車の音がわずかに聞こえ、風がやさしくページをめくります。室外機の前に風車を設置してクルクル回すのも中々洒落ています。

勉強や創作活動にも最適です。長時間の頭脳労働の敵は、環境のマンネリによる集中力の低下です。そこで2時間の作業の後、ベランダに出て気分を変える。学生であれば15分、ベランダに出て追加の単語学習。文筆家であれば、文章の見直しやリフレーズを簡易机の上で行えば、短時間で劇的な成果を生み出せること請け合いです。

ここでは「ベランダは完全なプライベート空間ではない」という緊張感が、逆に程よい集中を生んでいるのです。

――「それは半ば閉ざされた庭とも異なる性質ですね」

Precisely. 正確な理解です。

ベランダというのは、言わばプライベートとパブリックがせめぎ合う非武装地帯です。家でどんな格好をしていても文句は言われませんが、ベランダでフルチンになっているのは犯罪です。そのギリギリの均衡ラインを見極めて押し通す「プライベートのわがまま」……これがベランダ活用の醍醐味と言えるでしょう。

代表的なのは食事です。都会のコンクリートジャングルで窒息しかけたビジネスマンたちが、正午になると我先にとレストランのテラス席を占拠し始める光景が示す通り、外気の中で楽しむ食事は最高です。

我々ベランダ族としても、この最高の瞬間を、朝に昼に夜に、虎視眈々と狙っています。ところがそうは問屋が卸さないのが、近隣との関係です。強烈な臭いや煙が発生する食事は当然の如くNGです。また外の音というのは室内にもガンガン入ってくるため、ちょっとした食事音も近所には筒抜けになってしまいます。

ベランダ族の昼食としてメジャーなのはカレーでしょう。自宅にいながら、まるで外でキャンプしているのかのようなアウトドア気分を味わえるし、食事も静かに行えるのです。

しかしそんな大人しいベランダ族でいることに耐えられないアナタに、ここでワタクシがとっておきの奥義を伝授しましょう。

それは「食い逃げ」です。

たとえば、ベランダでラーメンを食べるのって、屋台で食べてるみたいで楽しいですよね。However……しかしながら、ラーメン作法を知らない西洋人みたいに、音を立てずにチビチビと「パスタ食い」していたのでは、麺とスープの絡みが半減してしまいますし、ストレスも溜まります。しかし私は、ただお行儀よく小市民的な幸福に甘んじているわけではないのです。私の狙いは最後の2口にあります。

ここまで散々フラストレーションを抱えながらチビチビ食べてきたラーメン。その最後の2口を、爆音を立てて一気に1口ですすり上げるのです。閑静な住宅街に突如として響き渡る「ずもももももーーっ!」の快音に、昼寝をしていた猫など飛び上がります。そして私は一目散に屋内へと避難してしまうのです。

そうして「一体今の音はなんだ?!」と慌てふためく周囲の人間をブラインドの隙間越しに眺めながら、優雅にお冷を飲む……この禁断の「飯テロ」を「食い逃げ」とワタクシは呼んでいるのです。

――まさに「いつでも外界と往復できる」という性質を知り抜いた、ベランダ族ならではの「飯テロ」ですね

ベランダにはこれほどの工夫とドラマが潜在しているのです。そこは内界と外界が混ざり合って物語が生まれる空間です。

バーナード・ショー曰く「初恋とは少しばかりの愚かさと、あり余る好奇心のことだ」……これをベランダ流に換言すれば「ベランダとは少しばかりの愚かさと、あり余る好奇心のことだ」となります。部屋に引きこもっているだけでは何も生まれないのです。

干拓地を作りまくることで国土を増やしたオランダ人は「世界は神が作ったが、オランダはオランダ人が作った」と言ってはばかりません。これと同様に、我々ベランダ族も「大地は皆のために作られたが、ベランダはベランダ族のために作られた」と申し上げるのです。

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投稿日時: 2020/08/01
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