
スパゲティ・ナポリタン。
一体、このパスタは何なのだろう。
今日では広く知られるように、スパゲティ・ナポリタンは日本独自の創作パスタである。つまりナポリタンとか名乗っておきながら、実はジャパンなのである。
先日、昭和風のレストランに入ったときに久々にナポリタンを頼んでみたが、散々他のパスタを味わってからナポリタンを食べると、違和感が半端なかった。
子供の頃は特に疑問を抱かなかったが、ケチャップを全体へ暴力的にかけた挙げ句、ピーマンやらベーコンやらの余り物を見境なく盛り込む無節操さが、いかにも日本の台所的発想である。昭和である。GHQである。
ナポリタン全体が、ゲイシャ、ニンジャと同レベルの勘違いイタリアンで埋め尽くされており、食べていて、私は何だか恥ずかしさすら覚えた。
そもそも「ナポリタン」と名乗れる図々しさがスゴイ。ナポリの人に殴られそう。
たとえば、日本人がアメリカにあるうどん屋に入ったとしよう。そこで”KAGAWA”というメニューがあり、頼んでみたところ、うどんの上にフライドポテトとステーキの乗った珍妙なるUDONが出てきたとする。これはキレるでしょう。
私は、こんなまがい物はさっさと食べてしまおうと、ヤケになってナポリタンを口へ放り込んでいった。
しかし不思議なことに、食べれば食べるほど、なんだか奇妙なノスタルジーが全身を包むような気が……する?
その時である。私は昭和レトロ風のレストランで、たしかに感じたのである。焼け野原から隆起する闇市。そびえ立つ東京タワー。カラーテレビ。高度成長。
目まぐるしい時間の流れが。駆けていった時代が。
そうか、ナポリタンって、憧れだ。西洋に再び追いつこうとする日本が、ハイカラを夢見て作り上げたイタメシだ。貧しい食卓に地中海を浮かべるマジックだ。つまりナポリタンとは、熱気だ。思想だ。時代だ。ナポリタンが赤いのは、ケチャップのせいだけじゃない。遠ざかる昭和の赤方偏移。
レストランを出るとき、腹だけでなく心まで満腹になるような充足感を覚え、私は誇らしい気持ちでいっぱいだった。
ナポリよ、これがパスタだ。昭和日本のソウルフードだ。
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かんがえてみよう
- ナポリタンは日本の食べ物なのか、外国の食べ物なのか、みんなで意見を出し合ってみよう
- この文を書いた人は、ナショナリストなのか、アナーキストなのか、考えてみよう
- これを書いた人はなぜ、さいごにナポリタンを食べて「誇らしい気持ち」になったのでしょうか。そんなことを考えているヒマがあったら、英単語の1つでもおぼえなさい