天才とはなにか

2020/07/21 ・ 雑記 ・ By 秋山俊
ピカソ, ドラ・マールの肖像

天才とは失敗である。

天才とは失敗を知らない者だ、というのはいかにもフィクショナルな発想で、実際には天才というのは、途方も無い量の失敗を高速のサイクルで回すことを可能にしている者である。天才とは失敗の速力が、失望や嘲笑の速度を超越しており、他人が十分バカにする暇もなくもう次のサイクルに入っているのである。

ピカソでも手塚治虫でも、凡作と思われるような作品はいくらでも残しているが、それを評論家たちが十分に凡作であることを分析し尽くし、「あいつは終わった」と終了判定を下すまでのサイクルが、天才の次なる創造のサイクルに追いつかないので、人々にとって天才は、死んで立ち止まってくれるまでまともな分析が不可能である。そして凡作かな、っと思った頃には、もう次の傑作を生んでいるので、やはり天才だという結論に立ち返らざるを得ない。

このような観察から次に、天才とは速度である、という観察が導かれる。

天才の膨大な失敗を可能にしているのは速度である。では速度がどうやって生まれるかというと、これは“タメ”の最小化によって可能になる。

普通の人間というのは、創造の1サイクルを回すのにある程度のタメが必要となる。考えて、閃いて、実行して、結果を見て、それに一喜一憂するというのが大まかなサイクルなのだが、天才と呼ばれる人間の中には、実行に移すまでの速度と終わった後の切り替えが、尋常ではなく速いのがいる。

普通の人間は創造衝動と一緒に、恐怖心や承認欲求を強く持っている。だから実行するまでに躊躇するし、結果が出たら他人の反応を何度も確認したり、自作をしげしげと眺め直したりする。創造までのタメ動作が必要になる。

しかし天才というのは、創作衝動の強さがそういった感情のブレーキ、ある種の生存本能を破壊してしまった人間なのである。だから躊躇する間もなくウリャ、っと向こう見ずに実行してしまうし、完成すれば直後に作品は過去のものとなり、次なる創造へと移行する。ちなみにこの頃、普通の人はまだ実行に移るかで逡巡している。

天才とは、最小のタメで創造を繰り出すことのできる者である。

このような観察から次に、天才とは蛮勇である、という観察が導かれる。

(この後は、また数行の議論が続いてから、もう1つの観察が導かれるのだが、続きを書くにはあまりにも眠いので寝る)

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投稿: 2020/07/21
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