スト2と資本主義

2021/12/25 ・ eスポーツ ・ By 秋山俊

企業は大きくなる。大きくならざるをえない。なぜかと言えば、企業というものが「大きくなる」という前提の下で金を集め、「大きくなる」という方向性だけで生きて来たからだ。

橋本治『失楽園の向こう側』小学館文庫, 2006年

ワンス・アポン・ア・タイム・イン・アーケード

アップデートが疎ましいと感じるようになったのはいつの頃からだろうか。

かつて、アーケードゲームのバージョンアップは大変だった。ROMや基盤を交換しないといけないから、それは実質的に新製品を売るか配布という大げさな形態をとるしかなかった。それはもちろん超・メジャータイトルにしか許されない特権だったのだ。

私はPCゲームを遊んでいた子供だったので、「パッチのネット配布でアップデートできるPCの世界はなんて恵まれてるんだ」っと思ったものだ。特にBlizzard Entertainmentの『StarCraft』や『WarCraft 3』は、永遠に続くかのような分厚いアップデートにより、日本のゲームがとてもかなわないような神レベルのゲームバランスを実現していた。

昔は素朴に「最もゲームバランスが優れたゲームが、最も面白い対戦ツールだ」と信じていたので(いまはちょっと違う)、ゲームのアップデートが自由自在にできるPCゲームだけが最高の対戦ツールを提供できると思い込んでいた。

レヴォリューション:革命

ときは過ぎてゼロ年代後半。「10年早いんだよ!」が「10年経ったんだよ!」に変わり、リュウが白髪交じりのヒゲをたくわえる頃には、アーケードでも家庭用ゲーム機でも、ネットを通じたアップデートが可能となった。そこには対戦ゲームの黄金期が到来していたはずだった。

「もうダイヤグラム 8:2のクソみたいな組み合わせに悩む必要はない。複合入力による完全自動二択で一生ダウンし続ける地獄の季節は終わった。そんなのは野蛮な開拓時代の話だ。アップデート。ぼくたちには、アップデートがあるのです。」

「ほんと?ほんと?」

「ほんとだとも。ほら、Xの白パンも、KOF95イタリアステージの鎮元斎も……みんな手を振ってるよ」

だが蜜月の時間はほんのわずかだった。

それは偽りの契約だったのだ!

アンフェイスフル:裏切り

ゲームはいつの間にか「アップデートしている」から「アップデートさせられている」という状態に堕落してしまった。つまり「改善」のためではなく、「延命」のための、アップデートそれ自体が目的化したアップデート。

既に枠組みができたゲームは、無限のアップデートで無限に面白さが累積していくわけではない。

実際、今まで自分がアップデートに付き合い続けたゲームに関しても、大抵の場合、ゲームは1度の大型アップデート+マイナーアップデートでほぼ完成する。1度作った作品をコミュニティに揉ませ、妥当と思われる改善案や要望を実装すれば、そのゲームの完成形は見える。いつまでも細かい不満や改善妄想を並べてもキリがない。それ以上を目指すなら、やはりフルスクラッチで作り直す必要があるのだろうと強く感じる。

それ以上無理にアップデートしても、無駄に要素が増えすぎ、無理強いな「改善」の堆積でむしろ「悪化」してしまう。「改善」や「進化」は本質的には「変化」であり、その好意的な呼称でしかない。

『ストリートファイター V チャンピオン・エディション』CAPCOM

それでもゲームはアップデートされる。より素晴らしいゲームになるため?そうじゃなく、より長くeSportsタイトルとして話題を呼び続け、人々がより長くそれにカネをつぎ込むために……企業を維持し、あるいはより大きくするために……。

これは、資本主義社会においては「新製品」を作ることそれ自体が目的化しているのと相似形である。既に完成していようとなかろうと、「新製品」を出し続け、経済の歯車を回し続けなければ、その企業は世界に飲み込まれてしまう。

「良いもの」を出して、それを一生使うなんて世界は、20世紀半ばには終わっている。多くの商品には意図的な「寿命」がセットされている。古いOSのサポートは打ち切られ、劣化したスマホバッテリーは取り外せず、交換のためにわざわざ新品を買うよう迫られる。

私がアップデートに懐疑的になったのは、スト2から本田を使っていたプレイヤーの日記を読んでからである。もう細部は忘れてしまったし、引用元も見つからないが、「スト4が気に入らない。たとえばアップデートでxxxxがうまくいかない点が修正されたが、これは明らかに、“ほら、アップデートで改善されてるでしょ?”という演出だ。アップデートでの改善を演出するために、わざと欠陥を残してリリースしたとしか思えない」といったことを話していた。

この件が真実だったかはともかく、開発・稼働スパンが長期化する現在の対戦ゲームは、話題性を確保し続けるためにも、常になんらかの「改善」を迫られている歪みの中にある。

ゲームは「改善」され「新しく」ならねば、地獄の軍勢のように押し寄せる広告の山に轢き殺されて、あっという間にTwitterのタイムラインの最下部に埋もれていく。もはや「よりバランスが良く、洗練されたゲームにするため」という名目はどっかいってる。もしそれがあるなら、不要な要素は削除され、部分的な「ダウングレード」もあって然るべきである。

エコシステム:生態系

伝統的なプロ競技は、ゲームの刷新ではなく、プレイヤーの登場と引退によって競技内のエコシステムを保っている。将棋に羽生が出てきて、次に藤井聡太が出てきて、同時に加藤一二三が引退するような感じだ。

しかし新陳代謝があまりにも激しく、歴史を持たないeSportsでは、このシステムでは維持できない、というより「維持する自信がない」。伝統と歴史を持つ競技には「オレはいつまでも人々の中で愛され続ける」という確信があり、だからこそ10年20年というスパンでのプレイヤーの新陳代謝を悠然と待ってエコシステムを維持できる。しかしeSportsは急速に自発的に自らを変化させないと埋没する危機に晒されている。

「もう変えなくていいよ」とか「あそこだけおかしいから、そこだけ直せばいいよ」と言うプレイヤーもいる。しかしそれでも「改善」と「新要素」は増え続け、eSportsは、将棋や囲碁のような「歴史の深みの中で競う」というスタイルを放棄しつつある。

「歴史」の中で競うのはレトロゲームだけで、現在のタイトルは「ここ1年という刹那」の「現在」の中で競う競技になっている。現在のタイトルが「歴史」の中で競うようになるのは次のタイトルが出てアップデートをやめたときであり、皮肉なことにその時には主要プレイヤーも全員移動していて、「歴史」になった瞬間「過去」になってしまう。

だから今のゲームは突き詰められることがない。プロがたくさんいて、突き詰められているように感じるが、実際にはバージョンアップのたびに古いバージョン、つまり「古い可能性」とか「古い仮説」は、検証可能性そのものが捨てられている。したがってそこでしか存在しなかったバランスは、突き詰められずに中途で放棄されている。

クロダ:
良くも悪くもこれが今の時代なんだなって思う。
物事を突き詰めないんだよね。

[……]

イツキ:
今って一つのタイトルに対しての愛情みたいなものが無いですよね。

井上:
持ちようがないですよね。 攻略していく立場からするとアプデもあるし、ゲームタイトルも変わるし。 あとはアレンジコスチュームとかが実装されて、せっかく覚えた技の挙動が変わってしまうとか。 このゲームを真剣に自分に取り込んでいくぞっていうのを邪魔してくるゲーム内外の要素がスゴい増えてきてるから、自分は一生スパ2Xでいいねんって言ってるような素晴らしいオッサンみたいなのは生まれにくくなってると思うね。

イツキ:
それはあるでしょうね。 新作が出るのは嬉しいけど、使い捨てになっちゃってる現状は少し寂しい気もする。

井上:
ある日突然追加されたアレコスのせいで、それまで見えてた中足が見えなくなるとか平気であるからな。俺は他人よりも中足の挙動に1F早く気付けるから、他人にはできない刺し返しが成功した!みたいな、週に一回あるかないかの楽しみを追求していくことができない。でもそれこそがe-sports化であり近代化であり、自分らが今やってる対戦の現実なんすよね。

web限定『ゲームと人』井上 Feat.クロダ 前篇

***

「嘘をついていたんだ……君は。そうしてバランス調整も、新キャラ追加も、すべてはユーザーのためとうそぶいた」

たかが波動拳で相手がピヨり、ヒット音が軽快なSEを響かせていたのはいつの時代だっただろう。長い青年期の代償として失ったもの。昇龍拳を放った拳が濡れているのは返り血のためばかりではない。

(ヘッダー画像:『スーパーストリートファイター II X』CAPCOM)

初版:2021/12/25 ―― 改訂: 2022/01/07

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