見えない二択とファジーと認識の誤謬

2020/08/13 ・ eスポーツ ・ By 秋山俊
ルネ・マグリット『大家族』

格ゲーにおける二択というのは、当然「見えない」からこそ二択として成立するわけだが、これを「見えないけど二択として成立させない」という、防御側の願望が生み出したイカサマめいた防御方法がある。それがファジーである。

ファジーといっても色々バリエーションはあると思うが、基本的には「タイミングだけを凝視して防御を切り替える」というものである。中段がくるタイミングだけ立ちガードして、下段がくるタイミングになったらしゃがみガードする。

このとき防御側は「分岐点」からのクロックを正確に測ることだけに集中する。極端な話、防御の瞬間に関しては画面を見なくてもOK。タイミングさえ合ってればオートガードになるのがファジーだから。ファジー(fuzzy)の名の通り虚ろな防御方法であり、名前をつけた人は偉いと思う。

ファジーというのは、「見えてない」けど「防御はできてしまう」という、言わば仕様上の限界に付け込む技術である。ところがこの防御方法を、理論ではなく感覚で自然発生的に身に着けていると、「防御ができている」という事実から「見えている」という認識の誤謬が起こることがある。これは面白い現象だと思う。

バーチャの起き蹴り論争

ところでバーチャでは、最も原始的な二択である起き蹴りが「見えるか見ないのか」というのは、古代ギリシャから論争が続けられてきて、その叡智の結論として、とうとうVF5 FSでは「見えないけどファジーでガードできるよ」という真理が見いだされたらしい。

では過去の数々のバージョンにおいても、完璧なファジーガードが可能だったのか。それは分からないのだが、少なくともVF4の無印やEVOにおいてはガード可能だったのではないかと思う。

これに関して昔、ファミ通の対談かなにかで、有名人の間でも「起き蹴りは見えるか」について「調子よければ見えるよ」「いや見えないよ」と意見が割れていた。たしかキャサ夫が「見える」といっていて、ちび太が「見えない」と言っていた。そして私は「見える」と思っていた。

調子が良いときは本当に「見える」と感じた。むしろそういうときは「なんでこれがガードできないの?」とすら思うし、そういう瞬間は誰にでも訪れるものだが、今思えばあれは「読んでいた」のでも「見えていた」のでもなく、単に「ガードできていた」のではないかと思う。

そういう認識の誤謬は色々なところで発生するものだと思う。実は自分が思っていたのとは全然違うシグナルを頼りに達成していた、みたいなことが。

いや現実世界の色々な出来事に関しては、そういった勘違いこそがむしろ主であり、脳天気な人類が都合よく解釈して、平和に生きているだけなのかもしれない。

だから「自分には○○の才能がある」と信じ込んでいた人間が、ちょっと環境や情勢が変わると全くパッしなくなって「あれ?」なんてことが起きたりもするのではないか。

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投稿: 2020/08/13
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