2021年10月31日 / 365分の1の純粋な偶然、ハロウィン所感

2021/10/31 ・ 日記 ・ By 秋山俊

私は無神論者だが、ときには運命に導かれるように奇妙な偶然を体験することがある。

今朝、ジョン・カーペンター監督の『ハロウィン』(’78)についての一考察を書いた。だが実はこれは全くの偶然である。つまり世俗との関わりを極力絶って象牙の寝床に閉じこもっている私は、今日がハロウィン当日だということを忘れていたのである。私が当該記事を書いたのは、純粋に「カーペンター監督の全作品について、とりあえず思考の跡を残しておきたい」という動機からであった。

それにしても日本流のハロウィンの風習は未だになじまない。

ここで私は、本国におけるハロウィンとの乖離など、聞き飽きた講釈を並べたいわけではない。日本のラーメンが中国のそれとは別種であるように、各国には各国の輸入と適応の歴史があるはずだ。私は原理主義者ではない。

そうではなくて、ハロウィンというイベントが、人生の途中で突然降って湧いたからなじまないのである。

つまりこういうことだ。私は風習というものは、「生まれる前からそこにある」か、あるいは「リアルタイムの出来事としてその発生を目撃した」場合でないと、どうも風習として嘘くさい、という感じがして「ノレない」のである。

たとえば喜ばしい行事ではないが、阪神や東日本大震災の追悼行事は、時代の当事者としてその発生を目撃したわけで、こういうのが毎年執り行われることになんの違和感もない。

他方で日本のハロウィンというのは、ある時期から突如、あたかもスクランブル交差点に年に一度だけ魔界の門でも開くようになったかの如く、鬼面妖魔が夜中の渋谷を闊歩し、練り歩くようになったわけで、まさに現代の百鬼夜行という趣である。このイベントがなぜ急激に根付いたのかもピンとこないし、どっかの識者がそれらしい説を唱えたところで、到底腑に落ちそうにない。

だからそういう点で、最近生まれた子供たちは幸いだと思う。彼らはなんの違和感もなく、「日本の伝統行事」としてのジャパニーズ・ハロウィンを享受できるようになる可能性が高い。どんなことでも、愉しめる者が得なのである。勝者なのである。日本には元来、クリスマス・正月と誕生日くらいしか祝祭らしい祝祭がないのだから、もう2つ3つ付け加えた方が人生の喜びが増えるに決まっている。

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今日読んだ本

  • 横尾忠則『言葉を離れる』

今日観た映画

  • 『ヴァンパイア 最期の聖戦』
  • 『ハロウィン』

(ヘッダー画像:映画『ハロウィン』(’78)より)

初版:2021/10/31 ―― 改訂: 2021/11/01

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