『恐怖の詩学 ジョン・カーペンター』 / カーペンターの「ぜんぶ」がある

2021/10/31 ・ 書籍 ・ By 秋山俊

『ハロウィン』『遊星からの物体X』『ゼイリブ』などで20世紀アメリカ映画を支えた偉大なる監督、ジョン・カーペンター。

実はジョン・カーペンターには著作やインタビュー集が全然ない。翻訳されてないという問題ではなく、本国の方でもこの『恐怖の詩学』くらいしかない。DVDやBlu-rayのオーディオ・コメンタリーは豊富なのだが、紙媒体に残った彼の発言はレアなのだ。その点だけでも本書は、映画ファンにとって既に必読の書と言えよう。

カーペンターは一般的にB級映画が得意な監督として知られる。そのため、「なんか安いポップコーン映画を撮る人」というイメージで、彼の思考に興味を抱かない人もいるかもしれない。しかし彼の映画を観れば観るほど、彼が「散歩する異端」であることがわかる。

カーペンターは気張ってない。自分という存在もことさらに主張しない。そして平然とスラッシャー映画というジャンルを作り上げ、平然とスネークというキャラを生み出し、平然と傑作も撮る。しかし映画そのものは、あくまで低予算である。

ジョン・カーペンター監督

スピルバーグやキャメロンのような巨匠化・恐竜化する映画監督と違い、カーペンターにはインフレーションというものが存在しない。彼は始まりから常に「映画はこの程度でいい」という確信を抱いている。かと言って、職業監督として淡々と映画を量産しているわけでもなく、確かな作家性もある。その点だけでも十分な「異端」であり、映画の正体を追い求めるからには、カーペンターの動機を探らずにはいられない。

「映画作りとは強盗するようなもの」

『恐怖の詩学』はほとんど完全な「ジョン・カーペンター大全」であり、彼の伝記から始まり、監督する際の心構え、映画についての理念……っと、映画ファンが知りたい情報がごっそり載っていて、惜しみなく手の内を明かしており、ほとんど秘伝書の域である。既に絶版でプレミア価格になっているのだが、図書館で借りてもいいからぜひ目を通してほしい。

たとえばなにかの監督的な仕事を人には、「映画作りは強盗みたいにやらなければならない」という力強い教えは、生涯の金言ともなり得るだろう。

映画監督のまわりは無秩序とでたらめだらけだ。つまり、なにもかもがきみのじゃまをする。時間、人間、天候、二日酔い、きみが感じること……。ひとつひとつのことが、ほしいものを手に入れようとするきみをじゃまする。だから、力ずくで映画にしなければならない。ほとんど押し入って強盗するようなものさ。

ジョン・カーペンター
『恐怖の詩学 ジョン・カーペンター』

さらに処女長編『ダークスター』から、監督としてのキャリアをおよそ終えたと言っていい『ゴースト・オブ・マーズ』まで、ほぼ全作品についてのインタビューを収録している。つまりカーペンター関係の出版物は全然ないが、実際には本書で間に合っている。

しかもインタビュアーの質問の質がいい。ちゃんと全作品を鑑賞して、自分流の解釈を持っている人で、彼の意見によって監督自身が新たな解釈に目覚めることもあるくらいだ。『遊星からの物体X』はなぜ当初「失敗」に終わったのか。『ゼイリブ』の殴り合いはなぜあんなに長いのか。カーペンター映画にまつわる疑問は、本書を読めば大体解ける。

『恐怖の詩学 ジョン・カーペンター』

「ぜんぶ」だ。この本には、「ジョン・カーペンターのぜんぶ」が詰まってる。「ぜんぶ」が書かれた本は滅多に無い。「ぜんぶ」はページ数が多ければいいという問題ではない。「ぜんぶ」を詰めるには、本の全部が「ぜんぶ」に奉仕していなければならない。だからこそ本書は、情報量の割に驚異的にコンパクトで濃密なのだ。

ジョン・カーペンターはなにを考え、なにを想い、あれだけの映画を撮ってきたのか……。そして本書の最後の言葉を読むにつけ、この偉大なる歴戦の勇士に、膝をついて祈りを捧げずにはいられない。カーペンターよ永遠なれ。

なにも知らなかったころ、映画は魔法の体験だった。
いまでは、映画館に映画を見に行く代わりに、ラッシュを見に行く。
しかたがない、これがわたしの人生だ。
もう映画館のなかで生きたいとは思わない。

ジョン・カーペンター

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初版:2021/10/31

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