二階堂奥歯『八本脚の蝶』 / 自殺した多読家の日記

2021/01/17 ・ 書籍 ・ By 秋山俊

最後の魔法のおかげで世界はとても綺麗です。私は生きている間。時々、一瞬だけとおくをかいま見ることができました。結局そこに行くことはできませんでしたが、でも、ここも、とても綺麗です。明日がこないからです。これが最後の夜だからです。

二階堂奥歯『八本脚の蝶』

いわゆる「ホームページ」時代のWeb日記を書籍化したもの。オリジナルの日記は現在でも保存されており、ネットで読める。

この本の特徴は

  1. 著者が自殺して日記が終了している
  2. 著者が一般人である
  3. 著者がかなりヘビーな多読家である

という3点であり、特に「3」に関して、著者の二階堂奥歯は「生まれてから今まで生きてきた日数を、はるかに超える量の本を読んでいる」とのことで、「重度の多読家による読書日記」としての側面が強い。

保存されている元サイト「八本脚の蝶」

『八本脚の蝶』の魔力

有り体に言えば個人のWeb日記なのだが、不思議と興味深く読める。なぜだろうか。

それは異常なほど読書に熱中することで磨かれた二階堂奥歯の感受性や表現力が、死を前にある種の「過剰」に陥った人間の「生の姿」を、鮮やかに浮かび上がらせているからだ。

我々が普段眼にする「日記」は、「随想」に近い。それは「日記」と言いながら客観的視点を持っており、他人に読まれることを前提にしている。この『八本脚の蝶』も前半は客観性があるのだが、後半にいくに従って客観性を失い、主観や自意識が「過剰」になって、極めて自閉的でプライベートなものになってくる。

簡単に言えば、詩的な独り言と化していき、第三者には理解し難い暗号文みたいになってくる。この独白性の強さが、他の有名な自殺者の日記である『二十歳の原点』や『二十歳のエチュード』とは異なるように感じる。

たとえば以下のような文章がいきなり始まる。

物語の登場人物になりきっていた。
読み手であることを忘れていた。
もう何年も前に、この物語を読むすべを知ろうと決めたのに。

もちろん二階堂奥歯はこの世界の一登場人物に過ぎない。
しかし、そのような二階堂奥歯が、「私」であるということ、その事実によってこの物語は読まれ始めた。
そして、世界という物語は読まれることによって立ち現れるのだ。

二階堂奥歯『八本脚の蝶』

この文は唐突に始まるので、最初にサッと読むと何が言いたいのかよくわからない。しかしこの極めてプライベートな二階堂奥歯の「世界観」を噛み砕いていくと、なんとなく意味がつかめるようになってくる。

私の読みでは、これは二階堂奥歯が、「社会=物語」に規定される存在である“私”(社会的動物としての、環境に支配された自己)と、それをあたかも「読者」のように俯瞰的・客観的に捉え、自由に解釈できる“私”の2つを認識していることを意味している。

社会的には無力で歯車のようである“私”でも、その人生の意味や行動の価値を決定するのは、それを解釈している「読者」である“私”である。だから次のように続く。

読むことが書くことである物語。
頁をめくることが次の頁を生み出すことになる物語。

一登場人物である二階堂奥歯が物語を動かすことはほとんどできない。
でも「私」には、その物語を読むこと、読みとること、読んで解釈することができる。

死に近づいている二階堂奥歯の文章は、「読まれる日記」としての客観性を失っていく。あるいは捨てていく。そして魂の独り言みたいになっていく。それは自閉的な世界であり、脈絡が曖昧になっていく。発言は唐突である。しかし客観性を失っているからこそ、そこには彼女独自の世界観が、あたかも彼女の終の棲家のように構築されていく。

もしこれが生きている人間の日記であれば、単に自意識過剰で自傷的な人間のポエムとして、ネットの片隅で細々と続いていたかもしれない。しかし彼女が自殺したという事実によって、この叫びの真実性は担保された。だから読者は、そこから二階堂奥歯の魂の言葉を読み取ろうと腐心する。

二階堂奥歯という「物語」

私はネットの黎明期に沢山あった日記サイトを読むのが好きだった。なぜ好きだったのか、最近になってよく分かった。個人の日記は、積み重なることで1つの世界、1つの宇宙を形成するのだ。誰もがそのような宇宙を内に秘めている。ただそれを外側から読めないだけで。

二階堂奥歯の日記は、1つの耽美的で破滅的な世界観を持った宇宙のようなもので、それは彼女の言い方を借りれば、彼女という1つの「物語」なのだ。しかも作者の介入の少ない、たしかにこの世に存在した、生の「物語」である。それは私小説とも違う。いやあるいは、これこそが一回性の、一度限りの極限的な私小説なのかもしれない。最初で。最後で。何度もこの本を拾い直して、ようやく私も合点した。

これは作者が計画的に構築した、直線的なフィクションではない。読者は日記を縦横に読みながら、解釈の手がかりを探す。「世界」とは、道を辿るものではなく、歩き回るものである。

これがWeb日記であることは偶然ではない。「誰でも書き残せる時代」であるネットの時代だからこそ、このような、極めてプライベートな「物語」が出現し、読まれることが可能になったのだ。

以下は先程の箇所の解釈のもとになった、二階堂奥歯の美しいテクスト論で、私がこの本の中で最も気に入っている箇所である。

私を従えることができるのは、私が従う人だけ。
私が従うのは、私を従えることができる人だけ。
(世界に対する説得力。)
私を読んで。
新しい視点で、今までになかった解釈で。
誰も気がつかなかった隠喩を見つけて。
行間を読んで。読み込んで。
文脈を変えれば同じ言葉も違う意味になる。
解釈して、読みとって。
そして教えて、あなたの読みを。
その読みが説得力を持つならば、私はそのような物語でありましょう。
そうです、あなたの存在で私を説得して。

二階堂奥歯『八本脚の蝶』

二階堂奥歯自殺の理由、あるいは書物の毒

ところで、二階堂奥歯はなぜ死んだのか。最後まで読んでも、核心は第三者には分からない。日記の中盤まではそこまで病んだ気配はないのだが、彼女は十代にして様々な絶望を抱えていたのは確かなようである。

彼女の人生観が顕れているのは、たとえば以下の記述。

私が黒百合姉妹を知ったのは16歳の頃だ。その頃私は生きているのがおそろしかった。そして決心した。私は決して子供を産まない。私が耐えかねている「生」を他の誰かに与えることなど決してしない。

二階堂奥歯『八本脚の蝶』

なぜ死ななければならなかったのかは判然としないが、私はこう思う。

「本には致死量がある。人は、危険な季節に、読むべきでない本を読みすぎると死に近づく。」

本を読むことは彼女の人生そのものであって、やはりその死は、読書と無関係ではないだろうと思う。

生前の三島由紀夫が語ったように、本物の文学とは、「人間は救われないということを丹念にしつこく教えてくれ」、「一番おそろしい崖っぷちへ連れていってくれて、そこで置きざりにしてくれる」ものなのである。

しかしほんとうの文学とはこういうものではない。私が文弱の徒に最も警戒を与えたいと思うのは、ほんとうの文学の与える危険である。ほんとうの文学は、人間というものがいかにおそろしい宿命に満ちたものであるかを、何ら歯に衣着せずにズバズバと見せてくれる。[…]そして文学はよいものであればあるほど人間は救われないということを丹念にしつこく教えてくれるのである。そして、もしその中に人生の目標を求めようとすれば、もう一つ先には宗教があるに違いないのに、その宗教の領域まで橋渡しをしてくれないで、一番おそろしい崖っぷちへ連れていってくれて、そこで置きざりにしてくれるのが「よい文学」である。

三島由紀夫
「文弱の徒について」『若きサムライのための精神講話』

『八本脚の蝶』を読むことによって、気持ちが死へと傾く人もいるだろう。それこそが書物の毒なのである。

死による特権化

二階堂奥歯は一人の編集者に過ぎなかった。彼女の死後、その個人的な日記は書籍化され、多くの人に共有された。なぜか?死んだからだ。それは彼女が生前にいみじくも説明している。

失われたそれは、失われたというまさにそのことによって特権化された(それの意図に反して)。それは、求めても得られないがゆえに、いつまでも求め続けることが可能な存在になった。たどり着くことの出来ないその名のもとに、過去形という形でしか存在できない、幻の「失われた楽園」が現在において創造される。失われたものは特権的ななにかではない。その価値は、「失われた」というその一点にあるのだ。明らかに。
それはわかっている。

『八本脚の蝶』

私はこの本を好む。しかし私は彼女が偉大な文筆家になるはずだったとか、大変な才能を失ったとか、そういう気持ちで読むわけではない。そういう想像は空虚に思えるのだ。おそらく二階堂奥歯という人物は、死という現象と切り離して語ることが不可能な存在である。それはたとえば『アンネの日記』が、著者の死と同時にしか語り得ないのに似ている。

これは一人の読書好きの女性の日記である。その最期は悲劇であり、またその投身を決心した際の投稿は実に痛ましいが、それは彼女の、人生に対する個人的な結論であり、彼女自身の決断であり、その意味において、必ずしも絶望的なものではない。

最後のお知らせ
二階堂奥歯は、2003年4月26日、まだ朝が来る前に、自分の意志に基づき飛び降り自殺しました。このお知らせも私二階堂奥歯が書いています。これまでご覧くださってありがとうございました。

『八本脚の蝶』

(ヘッダー画像:二階堂奥歯『八本脚の蝶』単行本版, ポプラ社)

本についての記事一覧

初版:2021/01/17 ―― 改訂: 2021/08/24

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