本を己のものとするには、どれだけ読み込めばいいのか

2020/12/18 ・ 書籍 ・ By 秋山俊
レンブラント「本を読む画家の息子ティトゥス」1956 or 1957

「本を十分に理解したと言うには、どれくらい読めばいいのか」

これは読書についての永遠の問いだが、1つの指標として、「その本からどれだけ自在に引用できるかで、どの程度自分のものにできているかが分かる」というのを挙げたいと思う。

自分のものとしている=引用できる

引用と言っても色々あるが、「あの本には……と書かれていた」と言及できる程度の「弱い引用」で十分だと思う。引用が可能な本は、引用できる分だけ血肉化されていると言える。また単に主題を引用し説明するだけでなく、細部の理論やフレーズまで引用できているほど、深く精神に染み込んでいると見なせる。

引用できるなら、本の内容を記憶できてることは確かだし、理解できてないことをサッと引用するのは難しい。引用さえできれば、生活の中でも運用ができるということである。偉大な本なら、部分的に丸暗記して諳んじるまで読み込む価値がある。丸暗記は強烈。なぜなら理解と記憶は表裏一体だからである。

ここまでやるのを「重い」と感じる人は多いかもしれない。実際、単に読む快楽のための読書なら必要ないが、私の実感としては、引用できるくらい読み込まないと、数カ月後には記憶が薄まって内容を全然覚えておらず、結果として本を読んでも読んでも忘れていき、知識や知恵を蓄える手段としては、まるで穴の空いたバケツで水くみをするような状態になってしまうと思う。それは本も時間ももったいない。

引用できるようになる読み方

記憶力は、特定のフレーズだけ抜き出して覚えたり、目次をサッと復習したり、寝る前に思い返すだけでも全然違う。

引用できるようになる一番簡単な方法。読んだら、とにかく機会をつかまえて引用(あるいは言及)する。引用と言っても、自分の言葉として受け売りで使ってしまってもOK。これは語学での単語習得と同じ。ブログやってるなら簡単。書評するだけ。

よく読み込んだ本でも、長く時間が経つと完全に自分の記憶と一体化してしまい、その本の言葉なのか自分の言葉なのか、分からなくなってしまうことはある。これはある程度仕方ない、というか、そこまでいけば完全にモノになっていると言える。しかしそれでも、記憶を源泉とは峻別して保っておくことには、思考のルーツを可視化する上で大いに意味がある。

本を読んだら、何らかのタグづけをすることが重要だと感じている。頭の中でやっても、ふせんでもいいが、タグがあると内容を思い出しやすいし、他の似たテーマのものとも関連付けやすい。

色々な本を自分流に関連付けすると、記憶力が強化されるだけでなく、芋づる式に知識を引き出したり、発展させたり、意外性を出したり、文章を自在に水増しして読者を圧倒できるようになるので、特にコラムニストには必須の技能と言えよう。ちなみに文筆家でこの引用手法をスタイルにまで昇華させたのが、あの澁澤龍彦である。

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初版:2020/12/18 ―― 改訂: 2020/12/29

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