山田宏一『ゴダール、わがアンナ・カリーナ時代』 / 即興という神話

2020/07/21 ・ 書籍 ・ By 秋山俊
山田宏一『ゴダール、わがアンナ・カリーナ時代』

最近、ヌーヴェル・ヴァーグの象徴であった人物たちが立て続けに死去している。アニエス・ヴァルダ、アンナ・カリーナ。運動の中心にいたゴダールも、もう90歳であり、本当にいつ訃報が飛び込んできても全く不思議ではない。

『イメージの本』(’18)の撮影時も、本当はもっとロケーション撮影をするつもりだったが、ゴダールの足腰が悪くて外出できず、あのような全面的なコラージュ作品になったのだという。全面ロケという革新を支えた監督の足が、既に失われているのだ。

消滅するわけでも忘れられるわけでもなく、ヌーヴェル・ヴァーグが、逝く。

アンナ・カリーナ, 1940-2019, 『気狂いピエロ』より

ネットが完全な動画時代に入り、アマチュアたちが我先にとカメラ片手に近隣を叫びまわって動画の可能性を模索している現在、かつてアマチュアリズムで世界を覆ったヌーヴェル・ヴァーグを再評価する価値があるはずだ。

「即興演出」とは何だったのか

ところで表題の、山田宏一『ゴダール、わがアンナ・カリーナ時代』は、タイトル通り60年代前半のゴダール作品や周辺事情について、丁寧な解釈や逸話を集成した書籍。

この本で面白いのは、なんといっても最初の、1997年のアンナ・カリーナへのインタビュー。ここではヌーヴェル・ヴァーグの真髄であったはずの「即興演出」という神話が、アンナ・カリーナによってほぼ全面否定されているのだ。

ジャン=リュックはシナリオもなく、せりふも書かないで撮影に入るとか、そんなことは一度もありませんでした。即興と言えるようなシーンは、『気狂いピエロ』でわたしが「どうしたらいいの、わかんないじゃないの」って、ふてくされて渚をずっと歩いてくるところくらい。[…]ジャン=リュックがその場で思いつきのせりふを言わせたことなんてありません。シーンを周到に準備して、キャメラ・リハーサルも何度もおこないました。とくに『気狂いピエロ』のときはミッチェルという大きな重いキャメラで撮っていましたから、即興撮影など不可能でした。それに、同時録音撮影ですからね。即興なんて絶対無理です。演技リハーサルもきちんと何度もやって本番は少なかった。即興演出などといった簡単なものじゃなくて、効率よく早撮りするのがヌーヴェル・ヴァーグだったのです。

山田宏一『ゴダール、わがアンナ・カリーナ時代』ワイズ出版, 2010年
太字強調は編者によるもの

アンナ・カリーナは、即興のように見える場面すらも、それは事前に計算され準備された、「周到なる即興」であったことを明かしている。つまり現実には演出だったのである。

アラン・ベルガラ著, 奥村昭夫訳『六〇年代ゴダール―神話と現場』

他にもアラン・ベルガラ著『六〇年代ゴダール―神話と現場』(筑摩書房)においても、やはり『勝手にしやがれ』(’59)が即興によって撮られたという神話が崩されている(→紹介記事)。

ゴダールは『勝手にしやがれ』では実際には、俳優に少しも即興的演技をさせていない。かれらの台詞は書かれていたのである。

『六〇年代ゴダール―神話と現場』
山田宏一『増補 友よ映画よ、わがヌーヴェル・ヴァーグ誌』平凡社

ここで山田宏一の別の書籍『増補 友よ映画よ、わがヌーヴェル・ヴァーグ誌』(平凡社)から、ヌーヴェル・ヴァーグの作家にとっての手本であるジャン・ルノワールの言を引いてみる。

[わたしは常に撮影中シナリオの変更ができるように柔軟な仕事をしてきたが] この変更は、要するに、俳優は生きた人間であって、機械ではないことからも必然的に生じて来るものだ。テスト中に、俳優が部屋の中を歩き回るのを見て、そのほうが、シナリオの設定――同じ俳優が長椅子に寝そべっている姿――よりも、ずっと際立って印象的であることを発見するといったようなことが、しばしばあるのである……。

山田宏一『増補 友よ映画よ、わがヌーヴェル・ヴァーグ誌』平凡社, 2002年

このような精神を引き継いだヌーヴェル・ヴァーグの「即興」とは、実際には「応変」だったのではないか。

即興の神話は20世紀には既に解明されてしまっていたのだが、ヌーヴェル・ヴァーグについてのネットの現代の記事を見ても、『勝手にしやがれ』や『気狂いピエロ』を「すべて即興で撮られた」「その場で考えて撮った」というふうに紹介しているものが多い。

無論、映像の世界では人工的に作り込まれたと思われるものより、その場の勢いを感じさせる映像の方が鮮やかな印象をもたらすから、作り手は「周到さの痕跡」を消すことに腐心する。したがって、観客たちが演出を即興だと信じ込んだことは、ヌーヴェル・ヴァーグの紛れもない勝利を意味する。

ジャン=リュック・ゴダール, 1930-

ゴダールのあの、観客全てを煙に巻くような不遜と無法。デタラメに見えるジャンプカット。「こいつなら全てを即興で撮ってても、不思議じゃない!」

つまるところヌーヴェル・ヴァーグの神話は、作家たちの映画論が正しかったことの証左である。

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投稿: 2020/07/21 ― 更新: 2020/08/27
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