投稿日時:2018/10/13 ― 最終更新:2018/10/14

ひろゆき『論破力』

「論破」は、ひろゆきのトークを語る際に必ずついて回るキーワードである。彼が討論に出てくるとき、視聴者の多くは、彼が痛快に「論破」してくれるシーンを期待する。そのためタイトルが『論破力』となっていることは理解できる。むしろひろゆきの議論本で、これ以上のタイトルは難しい。

しかし、である。

ひろゆきは「論破」を議論の目的にはしていない。いやむしろ「論破」を目的にせず、手段の1つとしか見なさないことによって、彼は結果として相手を「論破」できてしまうのだ、という逆説が、本書で明らかにされている。この逆説こそが、ひろゆきの奥義であると言っても過言ではない。

実生活でも論破力は諸刃の剣だということをまず知っておいてほしいと思います。夫婦ゲンカで相手を論破しても、いいことなんてまったくないでしょう。

人生はうまくいくことが目的であって、論破力はあくまでもその手段なのですよ。

ひろゆきは冒頭で「論破至上主義」を否定する。上司を論破した結果として左遷されたら得することは何もない。状況によっては、むしろ議論で積極的に負けるべきだとすら主張する。

例えば実際に「偉い人」のポジションについている知識のある人間は、多くの有益な情報を与えてくれるし、また自説を述べたいという欲求も持っている。そういう相手にはわざと「論破されてしまう」ような紋切り型の反応をして、かませ犬になる。すると話している相手も気持ちいい、自分も知識が増えるし「偉い人」の歓心を買えるので嬉しい。両者にとってWin-Winである……という論理である。

ひろゆきの思考は常にこの「結果として得られる都合の良い状況」の獲得に向けられている。彼は「眼前で繰り広げられている戦いそのもの」には大きな注意を払わない。表面上の「勝敗」に拘泥してしまう人間が、相手を「論破」できる見込みは薄い。何故ならその人の思考のリソースは「眼前の舌戦」「今まさに秤にかけられている私の面子」に大半が注ぎ込まれており、感情は切迫感や怒りで埋め尽くされ、次なる展開を予測する余裕が失われているからだ。

ひろゆきは議論に感情移入しない

ひろゆきが提案するのは、議論の「当事者」から身を引き、むしろ議論している自分と相手の「傍観者」となって、議論に別のゴールや目的を設定してしまうことである。議論に感情移入しない、とも言える。

例えば彼がしょっちゅう使うメソッドは「あら探しをして相手の反応を愉しむ」という議論のポジション。

人の「あら探し」をするのが好きなのですよ、おいら子供の頃から。「あら」というのは、その人の弱点だったりしますが、それを見つけて突くのは楽しいわけです。

議論で勝つとか負けるとか説得する、ではなくて、ひたすら「疑問点や誤謬を探すゲーム」として、議論というゲームを作り変えてしまう。だから彼の思考のリソースは「相手を打ち負かしたい」という感情から解放され、その多くが「今この人が話していることの“あら”はどこにあるだろう」という、論理の精査に割かれることになる。焦りや怒りから解き放たれた脳の処理能力は、議論している「私」と思考している「私」を同一視し、感情移入してしまっている相手を上回る。そして相手を上回る処理で繰り出される「あら探し」の前に、議論の相手は窮することとなる。こうして「あら探しゲーム」をしていただけのひろゆきが、いつの間にか相手を「論破」しているという状況が勝手に生まれる、というのがひろゆきメソッドである。

囲碁に「岡目八目」という言葉があるが、これは観戦者は損得勘定に縛られず思考に余裕があるため、当事者が気づかないような手に気づきやすく、読み合いにおいて優位である、という意味である。ひろゆきメソッドは、議論における岡目八目を意図的に作り出す方法でもある。またこのメソッドは、そもそも自分が「尋常ではないゲーム」を遊んでいるために、相手にとってこちらの思考が(勝手に)予測困難となり、意識外からの質問をぶつけられる、という点でも効果的である。

議論の勝敗を決めるのは「ジャッジ」

もう1つ、本書の中で繰り返し語られている議論の急所は「ジャッジ」の存在である。ひろゆきは議論の勝敗に一応の判定を下すジャッジ、すなわち観客を設置すること、および彼らに対してアピールできる主張をすることを、再三にわたり強調している。

討論番組における司会や観客と同じように、ビジネスシーンにおいても、議論の場にはそれを見て勝敗の判定を下す人間がいる。逆にジャッジ不在の「密室の議論」は、極論すれば議論ですらない。勝敗は完全に両者の心の中で、主観で決められるから、人間心理から考えて「密室の議論」の9割はお互いが「我こそは勝者」と主張する、不毛なゲームに終わるだろう。まさに「おまえがそう思うならそうなんだろう……お前ん中ではな」の世界である(本文で「論破」に常にカッコをつけている理由がまさにこれだ)。これでは議論の現実的な利益は発生しないし、議論の結果を虚偽的に吹聴される可能性もあり、時間の空費である。だから議論にはジャッジをつけるのが鉄則だと、ひろゆきは訴えるわけである。

要は、そういうジャッジをする人たちがどういう基準で判断するのか、その人たちに何を見せるのかということを考えて、何個かある「勝ちパターン」の中から順番に試して、議論というゲームで勝とうとするわけです。

ジャッジの存在こそが議論を議論たらしめ、ジャッジが勝敗を決めるのだとすれば、実は議論の主張の「真の宛先」は当の議論の相手ではなく、ジャッジであるべきだ、という結論に達する。これは、読書感想文を投稿して高い評価を受けるには、審査員を唯一の読み手として想定し、その審査員が喜ぶ言葉を並べることが肝要である、という考えと全く同一である。

大事なのは、自分の目の前の言い争いをしている人がどういうタイプか、ではないということ。

あくまでも、議論を聞いている人がどういうタイプの思考パターンを持っているかというところを読む。

そして、このタイプだったらこういう切り口でいくと同意されるだろうなと予想して議論を展開することなのです。

実はこの「ジャッジへのアピール」の重要性がわかりやすく可視化されているゲームが「人狼」である。人狼では、いくら自分が「論理的に正しい議論」をしても、周囲の人間がそれに納得しなければ全く意味がない。本書は、実は人狼の攻略本としても有用かもしれない。

これまでの説明に対して「でも自分はどうしても議論を客観的に俯瞰できない」「ジャッジにアピールするにはどうすればいいのか」といった疑問を抱く人は多いだろう。ひろゆきはそれに対して「そもそも他人というのは自分を嫌って当然だし、怒られても大きな問題は起きないから構える必要はない」とか「議論では自分が「弱者」であることをアピールした方がジャッジからの票を得やすい」ことなど、具体的な手法を数多く提示している。単なる抽象的な話に終始せず、分かりやすい方法論やケーススタディを数多く掲載しているところが、本書の実践的なところである。

総括

ひろゆきの必勝法を私なりにまとめれば、以下のようになる。

  • 「議論に勝つ」よりも「議論の後に勝ってる」ことを目指す
  • 議論を別の視点から楽しめる構造を作れば、「論破」は勝手についてくる
  • 議論にはジャッジを必ずつけ、ジャッジが気にいる態度と発言を心がける
  • 議論の勝ちパターンを意識的に作り、そのパターンに落とし込むように議論する

『論破力』という一見、刹那的で非生産的なタイトルがついているように見えるが、本書で語られているのはどちらかと言えば「議論とは何か」「そもそも何を目的に議論するのか」といった「議論論」である。人との話し合いや討論について悩む多くの人にとって有益になり得る情報を、ひろゆき流のユーモアに乗せて語った痛快な書籍と言えるだろう。

最後に、ひろゆきの議論の特徴を見事に抽出した方がおられるので紹介しよう。

「それはあなたの感想ですよね?」から見るひろゆきという男

ひろゆきが議論でよく使うテクとしては

  • 質問を多用する(質問者側の方が有利に立てる)
  • 極論の例え話(相手の処理に追いつかないくらい高速で話しまくる)
  • 負け試合は挑まない(でも勝ち戦は一気にいく)
  • ニコニコしながら不気味さを放つ(気持ち悪い)
  • 失敗した時はヘラヘラしながらすいませーん(許されるキャラを事前に作る)
  • 感情論で話さず冷静に。だけど煽って揚げ足を取る

ある意味では2ちゃんねらーらしいロジカルだろう。さすが創設者!

ひろゆきは「勝ってる感じ」「負けてない雰囲気」を作り出す名手なのかもしれない。実は私は、ひろゆきは文字通りの意味で相手を論破できてるとは思ってない。しかし観客、彼の言葉でいう「ジャッジ」への演出が巧みで「ひろゆきに都合の良い状況」がいつの間にか生まれている。これこそが彼の能力「ひろゆき劇場」であり、いまやネットの2chやニコニコ界隈はみんなこの劇場の一部である。

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