ポケモン、あるいはこの宇宙に生まれるという不条理

2020/12/07 ・ 雑記 ・ By 秋山俊

カフカの『変身』という有名な文学作品は、ある日起きたら男が巨大な虫(おそらくゴキブリ)に変身してしまったという不条理小説で「虫に変身した理由は一切わからんが、とにかくある日、自分がいきなり虫になったらどうなるか?」という思考実験から生まれた、理不尽・悲哀・諧謔に満ちた中編である。

『変身』の主人公が立たされた境遇は、まさに不条理そのものである――何しろ、まず虫の身体のまま、ドアの向こうから出社を促す家族をどうにか説得せねばならない。そしてこれを読んだ人間はそのあまりのどうしようもなさに、自分がそんな理不尽な運命を背負い込んでなくてよかったと、胸を撫で下ろすだろう。

ところがここに1つの見落としがある。

それは「ある日突然、なんら前触れも理由付けもなく、この宇宙のこの時空に、問答無用で生み落とされた」という、我々の奇怪極まる運命の方が、実はこの小説で起きた現象よりよほど唐突で、理不尽で、かつ意味不明ということである。

サトシとピカチュウは最高のパートナーだ(アニメ『ポケットモンスター』)

そして今この瞬間にも新たな無数の意識が、特に何の理由もなく虚無から出し抜けにこの空間へ「ようこそいらっしゃいました」とばかりに召喚され、その直後に踏み潰されたり喰われたりしている事実を思えば、『変身』で起きたような、人間がある日、突如として虫になってしまう程度の不条理は、我々の宇宙において茶飯事であると言っても過言ではないのである。

子供の頃にふとそのことを考えた瞬間、あまりにも意味不明過ぎて、混乱を通り越してかえって『ポケットモンスター 緑』に熱中してしまったが、まったくこの宇宙という現象は、頭から爪先までデタラメ過ぎて本当に意味がわからない。

ポケモン一作目では「こおり」ステータスが事実上の即死なので、基本的に「ふぶき」だけ使っていればいい(『ポケットモンスター』)

哲学分野のいわゆる「なぜ“何もない”のではなく“何かがある”のか」という、存在に関する問題だけでも、既に脂をバケツ丸ごと注いだ豚骨ラーメンくらいに過剰なコンテンツと言えよう。

その手の問題を「ただ在るのだ」とか「それよりサンダースのトレードしてくれない?」とか「もしそうでなかったら、この問い自体が発生しておらず、言わば宝くじを引き当てた人間が当たった理由を考えるようなものであり、論理が逆である」とでも言って退けて、目前に山積した書籍やBlu-ray コンテンツを味わうことに回帰したいのは山々だ。しかしそのように悟り済ませてみたところで、実際には根本問題が何も解決していないので、この宇宙がひどく得体のしれないことに変わりはない。

頼れる仲間のタケシ(アニメ『ポケットモンスター』)

私は基本的に、この宇宙というものが、あるいは人生というものが、ある種の途方も無い冗談や勘違いのようなものであり、日々当たり前のように生活というものが発生して、電車に揺られて、飯を食っている日常に対し「おそらく全てが間違っている」と思っているが、それを口に出すと途端に狂人扱いされるし、私自身なんにも得しないので、表ではいつも済ました痴呆的微笑をたたえながら、心の中で「ピカチュウゲットでチュウ!」とでも思い浮かべることで、かろうじて正気を保っている。

そして私の推測では、他の多くの人たちも実は同じ擬態を貫いており、あるいは自分自身すら騙し抜いており、そういった共犯的努力によって、社会という共同幻想は、どうにか発狂を免れているのである。

この手の話題は、了解してくれる人にはただちに伝わるのだが、伝わらない人には100万語を費やしても了解させる自信はない。たとえば私の母に対してこの話題を振るくらいなら、猫にでも話しかけた方が、ずっと有意義なのである。

念の為に言っておくと、私はずっとポケモンの話をしている。

宇宙は謎である。謎を解くは人々の勝手である。勝手に解いて、勝手に落ち着くものは幸いである。[…] この世に生まれるのは解けぬ謎を、押しつけられて、白頭にせんかいし、昼夜に煩悶するために生まれるのである。

夏目漱石『虞美人草』

テキスト系記事の一覧

LINEで送る
Pocket

投稿: 2020/12/07 ― 更新: 2021/06/14
同じテーマの記事を探す
関連記事
コンテンツ
文客堂について