即興が究極のコンテンツ

2020/08/26 ・ 雑記 ・ By 秋山俊

究極のコンテンツは即興から生まれると思う。

即興の問題点は、即興ゆえに練り込み不足となることだが、この欠点を克服して、即興によって練り込まれたようなクオリティのモノを生み出せると、かなり奇跡的なデキになる。

即興が持つ鮮やかさは、触れた者に、その場の空気や生命を感じさせる。これが、こねくり回して何かを作った場合には、再現が大変に難しい。モノによっては再現不可能ということになる。

さらに即興だと制作時間(予算)が最小で済む。退っ引きならない現実の大問題に対して最大の解決策を示す。これこそが即興最大の強みだと言ってもいいくらいである。つまり即興で良いコンテンツを作れれば、最速にして最強のコンテンツ制作が可能となる。

文章とかセリフなら、パッと良さそうなものが浮かべば、大体それが最強。

トークなんかでも、台本ありで作り上げたものは、やはり傑作にはなりにくい。その場の勢いを含みながら、ハプニングを吸収しつつ即興で演じられたトークこそ至上と言えるだろう。

またたとえば何かのライヴ・コンサートなどは、まさにその瞬間だけの唯一の時間を切り取っており、この時間性はコンテンツにとって一つの付加価値となる。ここでもし、観客とアーティストが一体となって熱気を生み出し、さらにアーティストがスタジオ収録に全く劣らないパフォーマンスを見せたなら、そのコンテンツはスタジオでは再現不可能なクオリティとなる。

だから最高のコンテンツをどう創るか?と考えたときに、とことん練り込むのも一つの道だが、いかに即興で最高のパフォーマンスを出せるかを考えるのも、また一つの道だろうと思う。

続き「即興は理屈を超越する」

(ヘッダー画像:マルク・シャガール「誕生日」1915年)

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初版:2020/08/26 ―― 改訂: 2021/08/25

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