橋本治と太宰治の共通点を80年代橋本治風に語る

2021/06/07 ・ 書籍 ・ By 秋山俊

名前が同じ“オサム”ってことじゃないからね?(どんだけサムいんだよォ……)

さっき「橋本治『ロバート本』を80年代橋本治風に語る」を書いていたときに改めて意識したんだけど、橋本治の文体って「潜在的二人称」なんだ。これが太宰との共通点。でしょ?! つまり「分かる?」って問いかけ方ね。

「潜在的二人称」ってサ、エッチな文体だと思うのね(キャッ♡)。人たらしっていうのかなぁ。「僕が話しかけているのは、他でもない君だけで、この文章は君のために書いたんだからね」っていうのを言外にほのめかす文体。もちろんそんなはずないんだけさァ。オレ、これを誰が読むかなんて知らないし。

でも言語というのは、そもそもが虚構を作り出す道具であって、人間というのは実は頭の中では「この確かな現実」と「頭の中ではそういうことになっている虚構」を明確に区別していないから、メタファーを理解できるし、マンガも楽しめるし、潜在的二人称の魔術にもアッサリ引っかかるのである。この辺の融通がきかないから、ネアンデルタール人の皆さんは滅んだって話ですね。

そういうわけで、これからは女の子向けの記事を書く場合は、ワタクシも潜在的二人称で書こうと思いました。問題は、女の子が読むような記事なんて一つもないってことなんだけどさァ……

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投稿: 2021/06/07
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